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[エッセイ]【思いを綴り、話すこと】

ー言葉の世界の中で、私たちが日々感じることー

文章を記す過程の中で、気付いた事というのがあります。

それは、文章を記すという事は私にとって話すことであるという事であります。

どういう意味だと申しますと、思いを綴り、記された文章というのは、自分が考えたり、思った感情を言語化した状態のものであり、言語化された文章というものは、私たちは普段から慣れ親しみ、読むことで解釈します。

例えば、SNSを通して、言語化された文章のやり取りというのは、会話と同様に、相手とコミュニケーションを取る上では同じ部類に属されるであろうと思います。

言語化された、言葉同士のやり取りの中で、話が噛み合わない現象というものも、起こり得る事があります。

それは、発信者側かもしくは聞き手側の言葉の伝達、受け取りに誤りが生じて、上手くやり取りが続かなくなるという事が理由として考えられるのではないかと感じます。

noteを始めてから、私が記した記事は果たして、読み手側の人たちに上手く伝わっているのかなと不安になる事があります。

文章の伝わり方によっては、書いた内容が全く違ったものへ変貌を遂げて、思いが違った形へと相手に伝わってしまうという恐れがあります。

私は文章を記す以前に大切にしている事というのがあります。

それは、‘‘内省を深め、俯瞰した立場に立ち、文章を記すということ’’。

どうしても、客観性を喪失した文章を記してしまうと、会話として成立しない現象が起こる恐れがあると感じるようになりました。

文章というものを通して、思いを綴り、話すことというのは、簡単そうに見えて、とても難しいことのように思います。

これからも、私は自分の記した文章を大切にして、書き記していき、多くの方々に伝わるものをたくさん記していきたいです。

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