退職まであと6日!!~寄せ書きに書いてあった意外な言葉~
いよいよ残すところわずかになってきました!
いろんな方にメールやチャットで挨拶を進めています。
「うちにおいでよ」って言ってくださる会社さんもあって、これまでの付き合いの中で可能性を感じてくださっていたことが嬉しいです。(行きませんがお気持ちだけ頂戴します・・・)
今日は人は立ち位置によって見える景色が違うというテーマでお送りします。どうぞお付き合いください。
淋しくない私は性格が悪いのか
この間挨拶する中で、「寂しくなります・・・」って言われることが多いです。
私これを言われると反応に困っちゃうんですよね。。いつも照れ笑いしちゃいます。
「私も淋しいです・・・」って言えないんです。
なぜなら、淋しく感じていないからです。性格悪いですか?笑
これについてちょっと分解してみました。
立場が変われば見える景色が違う
これは私がドライな性格だからではなく、立ち位置によって見える景色が違うからだと考えました。
まず会社に残る人たちの視点に立ってみましょう。
彼らからすれば、今までの日常から突然私がいなくなるわけです。それは自分ではコントロールができない、どうしようもない現実です。これまでの日常が続くことを望んでいるからこそ、置いて行かれた⇒淋しい と感じるわけです。
一方の私は、自らこの場を去ることを決めました。残ることもできたし去ることもできたという意味で、選択権は自分にあります。
しかも、私にはわくわくする未来が待っています。ですので、今までの日常はもう過去の遺産に位置付けられています。だから何の感情も湧かないのです。(我ながらひどいですね・・・笑)
立場が変われば、感情を共有することは難しいというシビアな現実を発見しました。
自己弁護をするわけではないですが、私も今まで去っていく人を見送る立場は何度も経験しましたので、置いて行かれるほうの気持ちはわかります。
しかしながらいざ当事者になってみると、もう未来に対するわくわく感に心が占有されてしまって、見送るほうの気持ちにシンクロするゆとりがなくなるんですね。初めて知りました。
この事実に気づいたからこそ客観的になって、最後の挨拶をする際は相手の立場に立って良識ある態度を心がけようと思います。
贈る言葉
今職場で寄せ書きを準備いただいている気配がなんとなくしていますw 結構私の勘は当たるほうです。
あの人はなんて書くのかな~なんて余計な想像をついついしてしまいますね。
そのためか、ふと本棚の下段にしまってある、今までいただいた色紙に目が留まって久しぶりに読み返してみました。
そしたら中学の部活の顧問からのメッセージに目が留まりました。
私は陸上部に所属していたのですが、「あなたの走る姿は本当にかっこよかったです」って書いてありました。大の大人、それも顧問の先生が生徒に対してかっこよかったという言葉を使うのがとても意外であり、どういう意味なのか、当時の自分の姿を思い出してみたりして、その先生のことも思い出したりして、なんだか胸が熱くなったわけです。
中には心のこもっていないメッセージもありました。言葉に込められた想い、愛情、親密度ってわかるものですね。
意外と普段は感じていなかった親密度を、言葉にしてもらってはじめて気づくパターンもあります。上記の先生からのメッセージはまさにそのタイプでした。
贈られた言葉は大事に受け取りたいと感じた今日この頃です。
以上、今日もお付き合いいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう!(1441文字)
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