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愛とは

愛とは

愛を語るならば、愛の定義をしなければならない。私が定義するこの場合の愛は、本来の私たちの真ん中、全く色がつく前の状態のことを示す。私たちを形成する素粒子が発するエネルギーのことを示す。独特の定義かもしれない。最近、言語化するならば『愛』よりも『カワイイ』の方がマッチしていると思った。愛と書いてカワイイと読む感じでどうだろうか。それでいくならば、私たちはカワイイを思い出すゲームの中にいる。色々なカワイクない体験をしながら、だからこそしみじみカワイイを感じられる。本来の私たちはカワイイのだ。本来の私たちはカワイイでしかないのだ。


わざわざ愛を定義するのは、世間で言われる愛とはエネルギーが違いすぎるからだ。世間でメジャーな愛は、いわゆる憎しみとセットのもので、愛するゆえに憎しみにも転化するものだ。人に向けた時点でエゴとなるもので、先に私が定義した愛とは異なるものだ。だからカワイイの方がより表現としては向いているかもしれないと思った。


私の定義する愛(カワイイ)


自身で在ることの多幸感。対象を見て湧き上がる多幸感。

(ex.ネコを見て「カワイイ~!」っと2オクターブ高い声が出る状態)

(ex.母親が幼き子の寝顔を見ながら、ただ生きていてくれることに沸き上がる感謝)


世間でメジャーな愛

愛している、と相手を思い、そして愛して欲しくなる。愛してもらえなくなると相手を憎く思う。

(ex.「もっと私(俺)に尽くして!」と求める恋人)

(ex.「あなたのためにしてるのに!」とヒステリックになる母親)


どんな経験も、人生を味わうための材料に過ぎないので、ぜひ愛憎だって味わい尽くして欲しい。それこそ人生ゲーム。カワイイ自分で俯瞰しながら、人生ゲームを楽しんで欲しい。



カワイイ〜😍

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