見出し画像

『SMの思想史』補遺③『風俗科学』に見られる『犯罪科学』からの流用その1

補遺3つ目は、拙著の第1部第2章、「第二世代雑誌と弾圧」でとりあげた『風俗科学』に関する補足です。

『風俗科学』は創刊号で「ソドミア(ソドミー)倶楽部」(ソドミア=男性同性愛もしくは男性同性愛者の意)を発足すると表明していることから、これまで男性同性愛の歴史研究で注目されてきました。

しかし拙著では、まず『風俗科学』創刊号の挿絵や執筆者をチェックし、挿絵は多くが1930年創刊の先行雑誌『犯罪科学』からの流用であり(『犯罪科学』はかなり売れた雑誌で、『風俗科学』だけでなく、広く後発の出版物に多く流用されたと言われています)、挿絵や口絵を担当できる絵師を確保できていないと思われること、さらに創刊号の記事は半分以上、手塚正夫という創文社の社長だった人物が多数の変名を用いてひとりで執筆していたことを指摘しました。
そして、いくつかの考察を踏まえ、創刊段階の『風俗科学』はそれほど真面目に編集されてはおらず、男性同性愛者に向けた呼びかけも、当初は見せかけのものであったと結論付けました。

創文社は、『奇抜雑誌』・『怪奇雑誌』など、戦後風俗雑誌にかなり近いエログロ雑誌を発行していた出版社です。手塚正夫については、拙著では引用していませんが、高野よしてる著「『奇抜雑誌』の思い出」(『あかまつ 別冊01 戦後セクシー雑誌大全』まんだらけ、2001年)にその人柄や編集方法が偲ばれる証言があります。『奇抜雑誌』掲載記事のほとんどを一人で書いていたという話があり、かなり多作が可能な人物であったようです。

以下、『風俗科学』に確認できる『犯罪科学』からの流用の画像をいくつか示します。拙著では、148ページ注14に列挙していますが、文字だけだとかなりわかりにくいと思います。
まずは表紙から。

左:『風俗科学』創刊号(1953年8月号)、右:『犯罪科学』1930年9月号

『犯罪科学』表紙絵にはさらにオリジナルの絵があるのだと思いますが、『風俗科学』創刊号表紙と、『犯罪科学』の表紙は絵の外枠が一致していますので、『犯罪科学』からの流用とみなしてよいと考えています。

次に、『風俗科学』1953年10月号です。


左:『風俗科学』1953年10月号、右:『犯罪科学』1931年1月号

こちらもイラストの外枠が一致しますので、流用元は『犯罪科学』とみなせると思います。


左:『風俗科学』1954年1月号、右:『犯罪科学』1930年10月号巻頭口絵


このほか、『風俗科学』巻頭掲載の口絵も、『犯罪科学』に全く同じものが見つかります。

『風俗科学』通巻第2号巻頭口絵
『犯罪科学』1931年3月号112ページ


このほか、記事タイトルにつけられた小さなカットまでも流用しています。

左:『風俗科学』創刊号、右:『犯罪科学』1930年10月号


続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?