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仏陀と氣功

偶像崇拝が禁じられている仏教。

私が知る限りでは、
仏教を開いた仏陀が
人々が偶像を作ることで
本来の仏陀ではなくて
その偶像自体を崇拝してしまう
可能性があるから、ということを
理由にしたそうです。


人々が作るものは世界にたった一つな
訳ですよね。

その「たった一つ」が他人に伝わる時に
少しずつ形を変えていってしまいます。

そうなると、
「本来のお釈迦様」のイメージが
どんどん薄れてしまいますし、
「どれが本物だ」という争いも
生まれかねません。


仏教は、
その人の立場で修行や鍛錬をする、
ということが挙げられているそうです。

「それぞれの立場で」というところが
ものすごく大切な気がします。

だからこそ、なのでしょうが、
仏教にはさまざまな宗派が
あるような気がします。



・・・とまぁ、
私は仏教に関しては
学校教育レベルでの
知識しか持ち合わせていないので
詳しいことはここまでにします^^;



さて。

ここからは「氣功」を交えてのお話です。


先日、福田ゴンベイ先生の
遠隔氣功を受けていた際、
ゴンベイ先生は仏陀のお話をなさいました。

スピリチュアルとか宗教とか、
見えない世界に対して
素人以下の私に対して、ですw


ゴンベイ先生が私に教えてくださったことは

仏陀はものすごく氣功を研究していた(のだろう)

ということです。


ゴンベイ先生が、どうしてそのように
お考えになったのか、というと、
“ある事実”があったからだそうです。

ゴンベイ先生の生徒さんのお一人がゴンベイ・メソッドで瞑想をしていた時のこと。

その方の愛猫が、その方の膝のところへ自然と引き寄せられるように寄りそってきた。

この様子をゴンベイ先生がみて
仏陀が瞑想をしている際、
鳥や動物、植物までもが穏やかでいる
絵を思い出したそうです。

仏教の絵画って
そういうイメージがありますよね。

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このようなことがあってから、
ゴンベイ先生も
仏陀についてお調べになったのでしょうね。


そういえば、仏像の手を見ると、
必ず手のひらの中心にある「手心」が
しっかりとした位置にあります。

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鎌倉の大仏の手心も
両方ともに上を向いていて
しかも、他の指で覆われることなく
開いていますよね。


この手のひらの中心から
私は強い氣が出てきます。

手のひらの中心から出ている氣が
だんだんと指先に行き、
指全体がビリビリしてきます。

そのビリビリを感じる頃には、
瞑想状態に入ることができますし、
先日お話しした乳白色の氣功球も
生まれてきます。

そして、体の内側から温まっていき、
さらに深い瞑想になるのです。



この心地よい瞑想。

是非あなたにも
体験していただきたいなって
そう思っています。



以上、今日の「すなおCollect」でした。

最後までお読みいただきましてどうもありがとうございます。いただいたサポートは、発達障害の育児である「おうち療育」を広めるために活用させていただきます。