【梅】エモあん-emotional understanding-


エモーショナル アンダスタディング

略して、エモあん。


簡単に言うと、人の話を単に耳で情報として聞くだけでなく、こちらから意識的に相手の心情を汲み取ろうとする、つまり日本語でいうと傾聴が近いのかも入れない。


僕は最近この言葉を知った。

知ったきっかけが現在週に一度、都内の高校で活動しているキャリア教育支援のインターンプログラムの中で、だった。

それを僕はエモあんと呼ぶ事にしたいんだが、非常に大切な考え方であるとこの言葉を知ってから切実に感じる機会が多い。

だが、実際現場では僕たち大学生チームが高校生のメンバーに対して、そして僕たちの内輪の中でも、そのエモあんが大切な考え方として顧みられていない気が強くしている。もちろん、それにあった文脈や、そうではない点もあるが、それらを差し引いてもここに書き出したいという思いが湧き出てきたのだからやはり、現状では納得できていない。


そして一番何が納得できていないかと言うと、それをみんなにぶつけられていない点にある。気持ちに素直になると、そうしたエモあんと言う言葉が、ここには組織風土として全然根付いていないと思っている。言葉だけが一人歩きをしまくっていてみんながそれに同調しすぎているようにも思ってしまう、恐れずに思ったことを言ってしまうと。


でもどうなのかな。同調をしてはそんなにいないのかも、とも思ってしまっていた。

必要以上に周囲に対してより規範的になるということラインを超えていると感じたから、同調的なと感じ始めた。

それ、必要以上にそれがある一定の最適ラインを超えると、質が下がる。僕は個人的な価値基準の中で、所属チームに対して勝手にそれを感じて悶々としていたんだなあ。

危機感、悲しさ、窮屈さ。

感じていた。

その感じている事、思っていることが言えないと言うのは、自分が自分自身に対してこの気持ちを言っていい確信や直感が、まだ十分にないからである。僕はそう言う意味では、みんなを信じれていない部分も多いいんだと思うし、そこに自ら身を投じて変化を促す事もできるが、やれていないのであるからチームや自分自身に対しても失礼をかけていると感じる。


心理的安全性。

この概念が昨今組織開発の分野において、かなり広がっていると聞く、しばしばだ。エモあんを、心理的安全性を守るための組織の土台であるとんだと僕にはみんなにしっかりと伝えたい。これは自ら前向きに関われるテーマであると切実に思う。

みんなや自分が嫌いというのではなく、

もっと僕たちや自分自身に対してやれる事はまだまだたくさんあるんだと、もっとポテンシャルがあるんだと。そう信じるから、そこに飛び込みたい。(まとまらなくなってきたから、一旦閉じよう。)


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