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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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2022年1月の記事一覧

【人生ノート 237】大人の知恵で、子供の無邪気さにかえりたいというのが自分の念願なのだ。

皆させられている おなじ霊統の人同士が一緒におるほど、この世に幸福なことはない。それは絶えず相互に霊を充たし合うことができるからである。 この霊統を整理し、それぞれにキチンと目鼻をつけるのが、今度の大神業なのでだ。 ○ この頃は神懸りもなく、小さい肉体心で、しかし、わりと落ち着いて子供のように暮らしている。実際、あどけない子供ほど気持ちのよいものはない。大人の知恵で、子供の無邪気さにかえりたいというのが自分の念願なのだ。 ○ しているのではない、みな、させられてい

【人生ノート 236ページ】 少年の時代から、適度にこの創造欲を誘導して、人世に有益な人間を大いに作らねばならぬ。

創造欲の誘導できる限り、お互いに、人の得んとするものを与え合えよ。 こうすることよりほかに、世の中を平和にする方法はない。 ○ 「仕上げた」ということは、人に非常な嬉しさを感じさすものである。 小さい木箱一つでも、これを設計し組み立てて完成した時は、なんともいえぬ愉快を感ずるものである。 少年の時代から、適度にこの創造欲を誘導して、人世に有益な人間を大いに作らねばならぬ。 ○ 物質的ルネッサンスは、イタリヤに源泉を発して全欧に波及したが、精神的のルネッサンスは、

【人生ノート 234ページ】一心に実行すればいつとなくものの呼吸をさとるなりけり

超理論的なるもの 人に接して、その人の気持は、いかに態度でかざっても、私には明らかに分かる。これは、ちょうど腹がへったと感ずると同じようなもので、どこということなしに、しかし明瞭にわかるのである。 人間には、こういう本質的な作用がたくさんあるのだが、現代人は外部的、理智的な理論にのみ頼りすぎる結果、内部的、超理智な大切な根本的なものをないがしろにしているので、努力や苦心のわりには本当のよりよい生活ができぬのである。 なに事もみな神さまはご存じとまこと知る人少なかりけり

【人生ノート 233ページ】 思考の上に、鍛錬に鍛錬をかさねた人でなくては、いくら肉体上の苦行をした人でもダメである。

至高の根源は霊界大人にも小児の時代はあった。賢人にも愚者の時代はあった。 大人より小児をみれば、万事、幼稚でお話にならぬが、しかし、小児にとっては懸命である。賢人と愚者においてもそうである。大賢人と小賢人とにおいてもそうである。 そして、進化には一足飛びはない。かならず、経るだけの順序階段というものは経ねばならぬ。 だから、もの皆それぞれ、人皆それぞれに進んでいたらよいのであって、決して、他の愚を笑ってはならぬ。 自己もまた、より進んでいる人々から見らるれば愚なのであ

【人生ノート 232ページ】すみやかにわが心をあざむかぬ生活に復れ。

非望は破滅の因なり偉いとも思わず偉くないとも思わず 偉いとも偉くないとも思わずとも思わず われは逝く水のごとく 造られしものの心は造りしものの心なり われにあるものみな神性なり 飯も喰べシリもふく手の用は妙なるかな 美醜相交わり正邪もとより独りあらず 明暗おんずからきたりていかんともいたし難し ○ 苦しむは無理をしているからである。何事によらず己が分に安んじておればよいのに、それ以上を望むから苦しむのだ。要するに、世間的功名の執着心からはなれて、いま自己に、

【人生ノート 231ページ】私は、とにかく、日に日に時々刻々、新しき体験を得んことをのみ念じている。

善悪を問わず体験を先達(せんだって)より身体に力がなく、たよりない。こうした時の気持ちをあらわしておくのも無用であるまい。 いまの気分で書く筆つきと、霊がたっている時のそれとは非常な相違だ。前者は何となくだるく、眠く、こせついており、不安であり、狭量であり、愚にもつかないことをこねまわしがちだ。後者はすべて落ちつきあり、ドッシリしており、調子づいており、しかもよく肯●にあたっており、超人的であり非現代的である。 前者の時のものは、やはり、その時のような心持ちの時でなければ

【人生ノート 227ページ】「自分のしていることは間違いではないか」と、つねに怠らず省みねばならぬ。

常に楽天気分で食事の後には安楽イスにでもよって、金口の葉巻でも吸いながら、無邪気に談話でも交換したらよいに違いない。 ○ この頃、「枯すすき」の歌が流行っているが、あれはやっぱり、今の世の一般の魂のもっとも甚だしい苦しみを表現した歌だ。 「ええぞええぞ、皆目ええぞ」という詞は、「夷々(えぞえぞ)、皆目夷(かいもくえぞ)」という意をかくしているのだ。 ○ とにかく、こういう世の中になってきた以上は、一度は精神的、物質的ドン底の生活をくぐって来ねば、一人前にはなれぬ。な

【人生ノート 226ページ】実力以上によく見てもらわんと願ったり、いまの気持ちの反対を見せようと努力したりするから苦しいのだ。

自己をかざるな 自分に何かひけめのある人は、こちらは何とも思っていないのに、自分でいろいろと案じ過ごして、その行動がなんとなく陰うつとなりやすい。 貧窮な人が富者のまえへ出ると、なんとはなしに相手を疑うような、呪うような、そして、つねに自己に対して侮蔑をあたえているかのように感じやすい。そのために両者のあいだに、いい知れぬミゾができてくるものである。 優者はつねに劣級の者を侮蔑するときまったものではないのであるが、劣級者の常として、優越者に接すると、すぐにこの心配をはじ

【人生ノート 219ページ】 愉快は愉快を呼び、不愉快は不愉快を呼ぶ。

 光をもとめ、向上を求め、希望に燃えている人は、見ても愉快だ。  不愉快なときには、場所とか人とか物とかによって、気分を転換する工夫をしなければならない。  人を怒らせ、不愉快にすることは、いかなる場合にも益はない。自己を愉快にし、他人をも愉快にすることに努めるべきである  愉快は愉快を呼び、不愉快は不愉快を呼ぶ。積みは罪なり。精神的にも物質的にも、じっとものを停滞、抑留しておくということは大なる罪悪である。  流転はこの世の姿であって、停滞は腐敗を意味し、毀滅を意味す

【人生ノート 220ページ】 いまの一歩をおろそかにしては、どこへも行けない。

未熟者ほど理屈っぽい 一足飛びにやろうとしてはいけない。ごく卑近なことから仕上げてゆかねばほんものは出来ない。 現実をはなれた理想論は砂上の楼閣である。しっかりした土台なしに、しっかりした家が建とうはずはない。 いまの一歩をおろそかにしては、どこへも行けない。私はシミジミこのことを悟った。 とかく、未熟な間は理屈ばかりをこね廻し、いっかど分かっているつもりで、その実、何ひとつ出来ぬものである。なに一道の達人は、知らざる者のごとくである。 かれこれ小理屈をこねている間

【人生ノート 218ページ】 「俺はもうダメだ」と、決して思ってはならぬ。「なにくそッ!」と、一災一厄くるごとに、ますます希望と向上とに燃えねばならぬ。

精進努力のないところに、進歩があるはずはない。完成へむかっての勇往邁進の気性のない人はもはやダメである。 たとえ、いま、いかなる窮地困厄の場所にあっても、屈せずたゆまず、日に一分、年に一寸だけでも、ここより脱け出でんとする心掛けが必要である。 「俺はもうダメだ」と、決して思ってはならぬ。「なにくそッ!」と、一災一厄くるごとに、ますます希望と向上とに燃えねばならぬ。 無限の真善への憧憬、追求よりほかに、人間の目的も価値もないのだ。 とくに現代のような、生存競争のはげしい

【人生ノート 217ページ】 矛盾が矛盾でない

自分の心だけの世界である。 他人にまさらんとする心は、いやなものなり。なんとなく殺気立ちたり、他人をそねみ、ねたみなどするは、みな、これより起こる。しかも、この心は、この世の人にもっとも強きものなり。 ただ、楽しむが故に為す、というふうに各人がならねばウソなり。 他人を強いて押しのけて、自己が上位に立たんとする心、この心ほどいやらしきものはなし。この世の、案外、せま苦しく見苦しくバカ気たるは、この心の映像なるがゆえなり。 自然に、みな、真の自己に適した場所におるようにな