プロボックス・ランナウェイ
鈴木が会社に来なくなったのは先月のことだった。
台風の日でも休まず出社する彼が、急に会社に現れなくなったのだ。
体調不良も考えられたが、携帯電話でも連絡がつかず、家も留守状態になっていた。
一体どこへ行ったのか。
犯罪の可能性など、周りが本格的に騒ぎ出した際にそれは判明した。
◆
「会社を辞めようと思っている」
鈴木から相談を受けたのは、失踪する1週間前のことだった。
滅多に愚痴をこぼさない彼がボソリと呟いたのだ。
場所は大通りに面したチェーン店の居酒屋だ。
勤続10年目でも給料は大して上がらないため、新卒の時と変わらない席で安酒を飲み交わしていた。
仕事を辞めたいという相談は、サラリーマンなら一度は聞く話だろう。
しかし、営業職の自分と違い、技術に誇りを持っていた鈴木からの言葉は重みが違った。
「やれるだけ頑張ってみたが、もう疲れた」
事実、鈴木の部署は縮小されることが決定していた。
彼が会社に捧げた10年という歳月は組織にとっては無駄と判断されたのだ。
「でも、会社を辞めてどうするんだよ?」
お決まりのフレーズを返してみる。
中小企業から大企業へステップアップするチャンスは少ない。
年齢も30代半ばとなれば他業種への転職もキツイだろう。
「今は内緒だ。いずれ分かる」
そう言うと鈴木はニヤリと笑った。
彼のそんな表情を見るのは初めてだった。
◆
「スピーカーを変えてみたんだ」
鈴木と現場へ同行した時のことだ。
彼は支給されている営業車を運転しながら、嬉しそうに呟いた。
スピーカーからは重低音がズンズンと響いている。
営業車はサラリーマンにとって第2の家と言える場所である。
毎日の足としては欠かすことが出来ず、移動のたびにハンドルを握ることになる。
そして、プロボックスはサラリーマンのために作られた車と言っても過言ではなかった。
最小半径4.9mという小回り。
フルフラットになる荷室。
ノートPCを給電できる100Vコンセント。
食事のための引き出しケーブル。
コンビニのゴミ袋を引っ掛けることができるフック。
あらゆるスマフォに対応する伸縮自在のスマフォホルダー。
走行距離24万Kmという脅威の耐久年数。
「コイツを高級車の乗り心地にしようと思ってる」
彼の目標はプロボックスをベンツのような高級車に仕立てあげることだった。
そして、彼の言葉通りに車の中身は少しずつ変化していった。
今思うと家族や趣味を持たない鈴木にとって、プロボックスの改造は生き甲斐になっていたのだと思う。
彼の行動に呆れる人は多かったが、自分の車を存分にカスタムできる姿は少し羨ましかった。
そして、彼はどんな現場でも丁寧な仕事をする職人気質だった。
「段取り八分、仕事二分」
このフレーズを口癖のように言っていた。
初めての現場でも手際よく仕事を終わられせるので、有言実行を体現していたのだ。
◆
「こんなモノを付け無くてもしっかり仕事するのにな」
雲行きが怪しくなってきたのは、会社の上層部が変わったタイミングだった。
ある時、営業車にGPSが付けられるようになったのだ。
ドライブレコーダー機能も兼用しているため、安全運転のためという名分だったが、本音は社員を監視する目的なのは明らかだった。
しかし、提案した役員たちの車にGPSは取り付けられなかったため、社員の不満は募っていた。
段々と、事業改革のスローガンの元に会社は堅苦しい組織へと変化して言った。
「車はカーシェアリングサービスを利用しよう」
ある日、会議で役員の一人が声を上げた。
自社で車を抱えるよりも、乗る際だけお金を払ったほうが安上がりという理屈だ。
確かに合理的な判断と言えるだろう。
しかし、車は1人1台という文化に慣れ親しんだ古参からは反対の声が上がった。
もちろん、どれだけの声が上がろうと上層部は聞く耳を持たなかった。
今思えば、これが最後のトリガーだったのだと思う。
◆
「鈴木さんが見つかりました」
第一報は車を管理する総務部からの一言だった。
いつもは冷静な事務の女の子が肌を上気させながら、営業フロアへ走ってきた。
フロア全体に緊張が走る。
この時全員の頭の中には悪い可能性しか浮かんでいなかった。
「ニューヨークです」
そう、鈴木は営業車のGPS電源を抜き、車ごと海外へ渡航したのだ。
そして、現地で再度電源を入れたのだろう。
海外へ車を送るのにはコストも時間もかかる。
一朝一夕で出来ることではないので、かなり前から計画を立てていたハズだ。
動揺していると、携帯の着信音が鳴った。
リンク付きのメールが届いている。
恐る恐るクリックしてみる。
「ハローユーチューブ!!」
動画に映し出されたのはサングラスに会社の作業着を着た鈴木の姿だった。
会社のロゴが書かれたプロボックスが後ろに映っている。
背景には英語の立て看板もある。
道行く外人が不思議そうに鈴木を見ているので合成ではないだろう。
タイトルは『会社が嫌になったので営業車で海外まで逃げてみた』
再生回数は100回程度だがコメント欄は賑わっていた。
「取引先から凄い量の問い合わせが来てます」
どうやら取引先にも同様のメールを送ったらしい。
「段取り八分、仕事二分」ということだろう。流石に用意周到である。
フロア中で電話が鳴り始めた。
ポケットから携帯を取り出す営業や、固定電話の対応をする事務職でてんやわんやだ。
何故だか愉快な気持ちだった。
上層部は焦ってオロオロしているが、私は久しぶりにお腹を抱えて笑った。
古参の連中も呆れつつも口元が笑っている。
「やるじゃないか」
ポケットからスマフォを取り出し、チャンネル登録のボタンをクリックした。
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