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二・二六事件私的備忘録(六)「首相生存を知っていた人々・前編」

”死んだ”総理大臣

 昭和11年2月26日。二・二六事件が起こった。
 総理大臣・岡田啓介、大蔵大臣・高橋是清、内大臣・斎藤実、侍従長・鈴木貫太郎、前内大臣・牧野伸顕、陸軍教育総監・渡辺錠太郎が、陸軍革新派青年将校率いる蹶起部隊に襲撃を受け、岡田・高橋・斎藤・渡辺が死亡、鈴木が重傷を負い、牧野は難を逃れた。
 だがその後、岡田は首相公邸で生きていたことが発覚した。殺害されたのは義弟・松尾伝蔵であり、首相公邸を襲撃した栗原安秀中尉はこれを誤認したのだ。岡田は27日中に秘書官と憲兵たちによって救出され、28日には宮中へ参内した。岡田は死んだものと思っていた閣僚も宮中の人々も、幽霊を見たように驚いた。
 最初に生存に気づいたのは、首相秘書官・迫水久常と福田耕である。彼らはこのことを秘匿せねばと尽力したが、実際には彼らを経由せずに岡田の生存を知った人々もいた。
 救出される27日までに、誰が首相の生存を知っていたのか。振り返ってみよう。

総理は生きていた

 迫水と福田が岡田の生存を知ったのは、事件発生直後である。
 首相公邸は官邸の裏門に接し、その外には書記官長官舎を始め、秘書官たちの官舎街が広がっていた。迫水は官邸表門から聞こえた銃声で襲撃を知り、すぐ後に襲撃部隊が裏門に突入する姿を目撃している。
 しばらくして公邸から聞こえた「万歳」の歓声で、迫水は全てが終わったと絶望した。すぐに将校が門をたたき、「国家のために総理大臣のお命をちょうだいいたしました」とわざわざ報告してきた。
 将校が去ると、迫水は福田の官舎に行き、こうなってはやむを得ない。せめて線香でもあげねばと相談し、なんとか蹶起部隊と交渉して公邸に入ることが出来た。
 岡田の遺体は寝室の布団に寝かされ、掛布団が顔までかけられていた。入れ違いに部屋を出ていった憲兵の腕章をつけた兵隊が「死骸をみても驚きになりませんように」とささやくので、それほどひどいのかと迫水は感じた。
 迫水たちは寝室に入るや、続き部屋との襖を閉めたので、室内には迫水と福田だけになり、案内の中尉(おそらく竹嶌継夫中尉か対馬勝雄中尉)は続き部屋に残された。偶然だったが、特に注意もされず、将校も入ってこようとはしなかった。
 二人が掛布団をあげて遺体の顔を見ると、そこにあったのは岡田ではなく、義弟・松尾伝蔵であった。迫水と福田は声を上げるのを堪え、顔を見合わせて頷き合う。
 ハンカチで目元をそれらしく押さえながら部屋を出ると、案内の将校が「岡田閣下の遺骸に間違いありませんね」と聞くので、迫水は「相違ありません」と嘘をついた。
 公邸には女中が二人いたはずなのでその所在を聞くと、迫水たちは女中部屋に案内される。
 女中たちは緊張の面持ちで迫水たちを迎えた。回顧録の中で迫水は押し入れの襖を守るように座る二人を見て、岡田が押し入れに隠れていると直感した。迫水が「けがはなかったか」と聞くと、「はい、お(・)けがはありませんでした」と応えたため、直感は確信へと変わった。
 その後、迫水が総理の最期の様子を聞きたいと、将校を廊下へ連れ出し、部屋に残った福田が小声で女中たちに総理生存を確認した。

秘書官たちから知った人々

 迫水と福田は首相の生存を天皇にお伝えせねばならないと考えた。
 電話は盗聴されているかもしれない。そこで迫水は封鎖線を突破して宮中に参内することになった。
 そのまえに、迫水は岡田の娘である妻・万亀に父親の生存を伝えている。また、総理死亡の場合に上席の閣僚に下される「臨時兼任内閣総理大臣」の辞令を、「内閣総理大臣臨時代理被仰付」に変更するため、内閣官房総務課長・横溝光暉を訪ねた。迫水は覚えていないが、このとき横溝は迫水から「総理は生きているよ」と聞かされたと語っている。
 蹶起部隊と交渉した結果、なんとか歩哨線の外に出た迫水は宮中へ参内し、宮内大臣・湯浅倉平に総理生存を伝え、湯浅宮相から天皇にも生存が伝えられた。
 迫水は遺骸を警衛する名目で近衛師団を官邸に入れられないかと考えたが、それは湯浅に止められた。近衛師団長・橋本虎之助中将はともかく、現在宮中に集まっている将軍たちはどちらを向いているかわからないとのことだった。
 このころ、内閣官房では小さな騒ぎが起きている。
 横溝総務課長から指示を受けた稲田周一書記官は、「臨時代理」の辞令を用意していたが、これは内閣官房内でも疑問の声が上がった。横溝は稲田に「総理の死は確認されていないから」と語り、稲田もそれをもって指示を押し通した。だが新聞が「岡田総理死亡」を報じたことで、上奏書作成担当はこの辞令は間違っている、すぐに「臨時兼任」に変更すべきだと主張した。
 だが稲田は、参内した迫水から「僕には未だに親父が死んだとは思えない」と聞き、総理生存を確信し、「臨時代理」の辞令で押し切った。
 陸軍があてにならないと考えた迫水は、岡田の古巣である海軍を頼ることにした。
 参内した海軍大臣・大角岑生に、迫水は海軍陸戦隊による官邸警護を要請した。だが、そんなことをすれば陸海軍で戦争になると大角は拒否。ならばと迫水は「承知いただけないのでしたら、私の言ったことは聞かなかったことにしてください」と前置きしたうえで、総理生存を伝え、救出のために陸戦隊を出動させることを重ねて要請した。だが、大角は「君、僕はこの話は聞かなかったことにしておくよ」と席を立ってしまった。
 続いて迫水は、集まってきた閣僚のうちで、最も信頼する司法大臣・小原直、岡田と最も親しい鉄道大臣・内田信也に総理生存を明かし、そのつもりで閣議を主導してもらいたいと要請した。
 迫水の回顧、その他資料に基づけば、迫水側から総理生存を知った人々は以上である。

生存を知った憲兵隊

 迫水・福田に次いで、総理生存を知ったのは憲兵隊であった。
 麹町憲兵分隊の青柳利之軍曹は、変事を聞くや4人の憲兵と共に三宅坂まで偵察に向かった。青柳は蹶起将校の一人、歩兵第1連隊の丹生誠忠中尉とは顔見知りだったので、彼から合言葉を教えられて、官邸に向かった。ちなみに、丹生が岡田の義理の甥であることを、青柳は知らなかった。
 官邸についた青柳たちは、栗原安秀中尉から蹶起趣意書と蹶起の理由を語られた。栗原はそのまま憲兵たちを返そうとしたが、こうした時にこそ憲兵が必要だろうと説得して、青柳を含む4人が官邸に残ることになった。
 官邸内はまだ警護官たちの遺体が放置されており、憲兵たちはその搬送の手配に当たる。その過程で青柳は、寝室に寝かされた“岡田総理”の遺体に手を合わせた。岡田に会ったことはなかったので、青柳は遺体が岡田でないことに気づかなかった。
 ちょうどそのとき、迫水・福田が公邸にやってきたのである。「死骸をみても驚きになりませんように」と言った憲兵は青柳だった。
 やがて、憲兵の一人、篠田惣寿上等兵が血相を変えて青柳に耳打ちする。「岡田首相は生きている」と。
 篠田は女中部屋の女中たちの様子を怪しみ、彼女たちが庇う様にしている押し入れの襖を開けた。篠田は護衛勤務などでたびたび岡田の顔を見ており、押し入れの中で端座している老人が岡田だとすぐに気が付いた。正午過ぎのことである。
 青柳利之の回顧録だと、この後に先の「死骸を見ても」という件が続き、迫水たちの様子を見て、寝室の遺体が総理ではないと気づいたとある。だが、迫水たちが公邸入りを許可されたのは午前9時で、正午には迫水は既に参内して大角に会っていた頃である。これは、青柳の記憶違いであろう。
 青柳はすぐに篠田を麹町憲兵分隊に走らせ、分隊長・森健太郎少佐、特高班長・小坂慶助曹長に総理生存を伝えた。
 森少佐は「救出は難しい」と考えていた。憲兵隊内の中にも蹶起将校のシンパは多い。無暗に報告すれば、情報が洩れてかえって総理を危険にさらす可能性があった。森はこれを黙殺しようと考えたが、今回の蹶起と将校たちを持ち上げる空気に不満のあった小坂曹長は、なんとか救出できないかと考えていた。
 青柳が戻ってくると、小坂は信頼する小倉倉一伍長も交えて、救出の相談をした。

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