今年も東洋医学史に向き合うために考えていることを整理してみる/日々の写真/#9
東豪です。医学史の授業日数が倍になったので、構成を考えている。昨年感じた課題を整理しつつ、学生に何を伝えたら良いか考えてみよう。
昨年の課題
1.授業の単位が少ない(5回しかない…)
何気にこれが一番の理由だったと思うが、これ以上多くても昨年の僕には対応することが出来なかったと思うので、これはこれでちょうど良かったのだと思う。授業日数が倍になったので、ただ順を追ってなぞるようではなく、情報に濃淡を付けてやっていきたい。
具体的には、①知ってて欲しいところは、お見知りおきを程度にする。②理解して欲しいところは、時代の流れや人の求めに応じて起こった現象のメカニズムを、言葉や図で説明する。③考えて欲しいところは、現在わかっていること・議論されていることを提起して、それを聞いて何を感じでどう考えるか(そもそも感じるための基礎知識がないと出来ないこともあるが、自分で感じて、情報の文脈と要点を整理して、その上でどう考えるか、という臨床の思考の型と同じなので、日頃から訓練になる)、そんなことが出来たらいいな~と思っている。
2.近代史の重要性
東洋医学は2000年前の古代の医学なので、その本質や言わんとするところを認知するためには、それなりに古い文献や人物に当たらなければならない。しかしながら、今現在を知る上で最も直結した歴史は何かといえば、間違いなく近代史だろう。
近代史は抽象化された情報(「つまり~~」とか「要は~~」とか、大枠や方向性を掴むための情報)が少なく、散乱した情報に触れて整理するところから始まるので、昨年は触れられずにいた。
触れられずにいたあるいは触れたくなかった理由の一つに、明治には漢方家が国策でキツい目にあったり、世界に類を見ない鍼灸師という医療類似行為に相当する不思議な立場となっていたり、昭和にはマッカーサーによって東洋医学廃止論が発布されそうになったりと、被害者論調が多いことも挙げられる。
今ならば理解できる、西洋近代化といった産業革命・科学革命によって時代のモノゴトの見方(美徳や価値観や善悪の基準など)が変わり、世界中の誰にも止められない濁流となって押し寄せてきた、いわば洪水のようなもの。
その濁流にさらされたからとて、東洋医学が色あせるということでもないし、科学の洗礼を受け入れることで磨かれた部分もある。一方で、様々なものの見方や考え方(パラダイム)がある中で、科学がパラダイムの内の一つであることも理解されてきて、異なるパラダイムに属する東洋医学をどう科学化するのかという問題提起をする関係性にもなっている。今は、そんな時代の流れを感じるようになってきた。
近代史の整理や資料つくりはなかなか骨のある作業だが、ざーっと論文に目を通している限り、明治からの約100年で医療業界の向かう先は変わって来ていると感じたし、とかく東洋医学に対する眼差しに変化を感じるので、比較的ポジティブに向き合えるかなと思う。
3.パワポの紙の資料の改善
スライドを映写するものとしては利便性を感じるが、紙の資料として配付する勇気がなくなってきた。
最近新しく始まった漢法いろは塾の講義では、パワポの映写が使えないという制限もあったため、自作のフォーマットで資料をつくったがとても見やすかった。
パワポのようにスライドの順番を簡単に入れ替えることができないのは難点だが、パワポで映写様のスライドをつくりつつ配布する紙の資料はパワポを転写する感じでやってみようかなと考えている。
4.自分が学生だった頃を思い出す
これは経験だと思いますが、何でも初めての時は外に意識が向かないもの。提供者としての目配せ心配りはもう少し出来たらよかったな~。間を持つ、位のぼやっとした改善方法しか思いつかないが、目配せを意識しよう。
5.自分の考えを述べてみよう
書籍や論文の内容を間違いなく表記することに努めた。担当する学年が1年生ということもあって「はじめて飲んだ水」になるべく自分のバイアスがかからないように努めた。
漠然とそうした方が良いように思ったのだが、そうした理由の一つには、まさに今の僕が求めている情報がそのような情報だったからなのかもしれない。原典には何をどう書いているのか、そしてそれをどう解釈したのかというところが重要で、人の意見はあくまで参考にするという頭になってきたからだと思う。
ただ自分が学生の時はどうだったのかというと、たくさん自説を述べる先生方がいて、その中でも最も伊藤先生の古典解釈が合理性・整合性・臨床的であったので極めて偏愛していたことを考えると、自分のフェーズに合わせて求める情報は変わってくるし、それは学生の感受性に委ねることにしても良いのかなと思う。
なかなか良い反省が出来たので、足りないことは後日加筆修正することにしよう
天が上にあって落ちてこないのは、ギリシャ神話のアトラスや中国神話の盤古が持ち上げ支え続けているからで、誰が持ち上げることで維持できる世界があることを認めつつ、今日も仕事に向かおう。
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