【漢法いろは塾】『難経』について #4
東豪です。
前回の講義の報告からなんと7か月が経っていた。
書き途中になっていた文書をリメイクしつつ、備忘録的に書いていこう。
『難経』に至るまで
一つの分野を根底から学ぶ時には、その分野の礎を構築した先人の思想・思考に触れる事が求めらます。
東洋医学という分野においては、2大原典である『素問(そもん)』と『鍼経(はりけい)』がそれです。両書は、後漢(A.D.25〜A.D.220)という中国王朝の時代に書かれたとされています。
『素問』『鍼経』には、秦の始皇帝率いる秦王朝、あるいは、中国全土が戦乱の事態であった春秋戦国時代の臨床経験をまとめたものであるとされている。
荒木正胤『漢方問答』の中では、紀元前18世紀頃に書かれたとされている古代インドのリグヴェーダの医学知見の影響をみられ、内容の起源は、我々が思うより、ずっと古いのかも知れない。
古代中国の臨床経験を存分に議論して打ち出された『素問』『鍼経』という原典。この原典に匹敵するほどのインパクトを残した古典がある。そう、『難経(なんぎょう)』である。
『難経』の重要性について
『難経』という本は、不思議な本である。『素問』『鍼経』に比べると圧倒的に薄い。分量が少ない。それに、名前の意味が不明。加えて、具体的な治療方法も書いていないのです!
にも関わらず。後世では『素難(そなん)』といって、『素問』と『難経』が同等に扱われるほど重要視されています。
私、東の主張は『素問』と『難経』は表裏関係の東洋哲学の本である説
僕の講義内での最終的な結論は、『素問』と『難経』は、両書によって東洋哲学すなわちカラダの見方・捉え方を表裏関係で掲示したと考えました。
例えば、『素問』で提起したことと『難経』で提起したことの比較をすることで明らかにしようと試みました。
『素問』と『難経』が何を重視したか
「命門」に象徴される「陽の重視」の『素問』、「陰の重視」の『難経』
『素問』では、五行論に基づいた「五蔵六府」の蔵象概念を提起した外、「経絡系統」すなわち「十二経脈・十五絡脈・奇経」をはじめ、十二経絡の異形「十二経筋・十二皮部」などを提起しました。
『難経』では、『素問』で提起した「五蔵六府」の内、腎蔵に着目。腎を五蔵の根として重要視しました。特に、腎を左右に分けて、左を「腎水」、右を「命門」として新説を提起した。
さらに、「経絡系統」の内、『素問』ではまだ未整理であった「奇経」に着目。経絡系統の最深部に位置して、臍下・命門の陽気を、三焦の元気として手足の原穴に送る役割とした。(遠藤次郎『奇経八脈の新解釈』説)
かつて『素問』の中で「命門」は気の華の最たるものすなわち「目」でありました。顔面部という陽位の極みで、生きている力(陽気)の最も顕著に現れる部分である「目」。要は、陽位の陽気の現れである「目」を「命の門」と定義づけました。
一方で『難経』では、体内最深部すなわち至陰に位置する腎の中にある自然界のマグマを思う様な、下から湧き上がる陽気を腎陽とした。要は、陰位の陽気の現れである「腎陽」を「命門」と定義づけました。
つまり、『素問』が太陽(君火)を主とした「成長収蔵」の生成の変化に“命の輝き”を感じて五行論を重視したのに対し、『難経』は地球そのものから噴出するマグマを“地球の生命活動”と感じて、もっとも奥深いところにある陽気すなわち「右腎命門(相火)」を重視しました。
目に見える変化と色彩に命の営みを感じた『素問』(陽)と、目に見えない地中の地味な世界に命の本質を見出した『難経』(陰)
『難経』の書名は、いつの時代も謎であった。
例えば「『素問』の難解なところに焦点を当てた書物だから、『難経』なんだ」とか????????
私はこの論文を元に、『素問』は『易経』に基づいた太陽(陽)の動きに従う植物の命のうごめきである成長収蔵に着目し、変化に着目した世界観だと思いました。一方で『難経』は、土の中の根に命の本質があると着目し、暗くて姿かたちに変化の少ない(どの植物も根の形態は、葉や花や実よりも差異が少ない)ところにこそ本質を見出した世界観だと思いました。
同じことですが言い換えると、易は、目に見えるという意味で、目で見える変化の世界から命の本質を眺めた『素問』と、難は、見え難いという意味で、目に見えない地下の世界にある姿かたちに変化の少ない世界にこそ、変化の源泉があると言いたかった『難経』。
このような構図があるのかなと思いました。
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