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【漢法いろは塾】講師連絡会に参加したことで感じたことを何回かに分けて #1/2 

東豪です。前回は、漢法いろは塾の発足の話をしました。


いろは塾でやっている古典読解の作業は、かつて伊藤先生が伯凰会で講義をされた内容をテープ起こしをしています。


古いテープなので、聞き取りづらかったり、くっ付いていたり、レコーダーが壊れたり、山形なまりがあったり………CDやデジタルデータではないから、一回の講義の文字起こしには、かなりの時間がかかるそう…。


今回参加して初めて聞いたことですが、テープ起こし作業は、実はこれは2周目らしい……!(1週でもスゴい時間がかかるのに)


伊藤先生の訳した古典の講義を、アーカイブ(保存記録)として残したい姉弟子たちの気持と、それを達成することの困難さを承知しつつ取り組む膨大な労力と時間………参加して聴講できることに本当に感謝です。


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センシティブなことについて忖度ない話を聞けることの重要性

会議の最中で、がん治療の話題になった。これは本当にセンシティブな話題で、これはこうと断定的に言えることでもないし、治る治らないを議論することでもない。


それぞれの立場や考え方があるし、ひとりの経験談を普遍のこととして判断することも難しい。


私の治療経験はけして多くはないが、がん患者さんの治療をしたことはある。しかしまだ、私の力量では、がんの患者さんと向き合ったときに、こうした方が良いとか、こうしない方が良いと、信念を持ったアドバイスはできていない。


その中で、これまで長い時間を鍼灸師として経験された先生方は、苦難の中で導いた“解のいくつか”を、ポツポツと話していた。


色んな立場があるから、具体的な内容については触れないが、患者さんの希望に添いつつも、できるだけ身心を楽に過ごすことができるような知見を示したり、患者さんを支えるご家族様も含めて見守る姿勢など、これからの医療に必要な心構えについて話されていた。


考え方の訓練を日常的に

定期的な診察はあるものの、薬を処方して終わり、手術をして終わりという医療とは異なり、鍼灸は「施術の間」も患者さん一人ひとりと関わる時間が長く、週に一回あるいは2週に一回顔を会わせて、鍼灸師は患者さんの、患者さんは鍼灸師の 笑 体調も含めて生活の流れを感じながら、治療の“間”を創っていく。


その場の判断は全てひとりで行うから、自分の経験と直感が頼りです。だから、思考方法は極めて人文科学的になるように思う。その思考の精度が、臨床結果を左右するのだろう。


自分の中から湧き出でる情緒と医療技術の混合が、鍼灸治療の味わいになるのだな~と、思う一方で、それだからこそ「引きの眼」として、一般的な医学知識や体系的な学問が重要となるのだろうと思う。


改めて、一生でも足りない医学だなと思いました。


テーマが難しく、文章が散りましたが、読んで頂きありがとうごさいました。



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