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なかなか話す機会をもつことが難しい人生の大先輩には、恥をかいても良いから自己開示することにしている/日々の写真/#10

東豪です。タイトルの通りの話をします。大学院でうなり声を上げ始めてから、恥をかいても良いから自己開示をすることにしている。


例えば、目下勉強中のジャンルについて、浅知恵でも良いから話してみる。頑張って、うろ覚えでも、聞きかじりでも、たどたどしくても、話しの解像度が粗くても、とにかく話しをさせてもらう。すると、大先輩の先生方は、きめの細かいキレイな解像度と流れの良い話しをして下さるのである。それはもう、観音様のように優しく微笑みながら。



このような場合はたとえ浅知恵だったとしても、目下勉強中なので、質問や感想を微力ながら備えている。解像度の高い話しに対して合いの手を入れながら、自身の記憶をつなげながら、キーワードやキーパーソンが浮き彫りになっていく。僕は耳学問すると覚えが良いようなので、とっってもありがたい時間なのである。


その他にもだ。


近しい人たちからガンガンと反対意見をもらった話しもしてみる。挑戦してみる。たとえ話をしてみて微妙な空気になってしまっても「なんか、変な空気にしてすいません!がっはっはっ!」と、自ら率先して大笑いすることにしている 笑。それでも良い。一時の迷惑はかけるが、課題が明確化したり、もしかすると、僕には見えない可能性の糸を見つけてくれるかも知れない。大先輩の先生方がどこに眼をやり、どう感じるのか、ライブで見ることができる。時には、その着想や感性が備わるために必要な基礎知識についても知ることも出来る。


自分が知っていることは、世界の中で星屑くらいの小さなことだから、知らないことも、わからないことも、恥かきながら、手前勝手に手ほどきしてもらう。たった一瞬でも、大先輩の先生方の本気を垣間見ることができたなら、それは宝物である。さあ、今日も自ら臨んで大先輩の懐に飛び込もう。そして、大先輩の先生方に感謝をしよう。

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