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先生になった日

大事なのは経験ではなく、選択。

はい、現実ではなくブルアカの話です。教員免許持ってないしな!!

さて、そんな話は置いといて本題のブルアカに関してですが、自分は配信日から毎日やり続けて最終編も最速タイミングで駆け抜けた先生の一人です。つまり最終編を心の底から楽しんだ勢になるのですが、めちゃくちゃ衝撃があったにも関わらず最終編の感想を全然残していませんでした。(書こうとか思ってたもののネタバレ配慮でぼかしたり色々やってるうちに完全にタイミングを逃していた。)

しかし、アニメで連邦生徒会長のセリフを久々に聞いたことでタイミングは遅くなったものの、あのときの感覚をちゃんと文章として残しておこうかなと思い立ったので書き残していきます。

ブルーアーカイブが自分に一体何をもたらしたのか。最終編のがっつりネタバレありで語ります。


最終編 Final. あまねく奇跡の始発点

2023年3月8日、プレナパテスとの最後の決戦が始まりました。

最終編は1/22から始まっていたので、だいたい1ヶ月半くらいに及ぶ長い戦いの終盤戦です。そこから全先生が3日かけてゲージを削りきりました。一応HP監視していたときのログがあるので見てみましょう。

ここからは本当に怒涛の展開が続きました。そんな中、先生たちの前に現れたのは脱出シークエンスでした。

生徒達を順番に崩壊していくアトラ・ハシースから脱出させていくわけですが、例えばタンクであるホシノには終盤まで残ってもらいつつ、他の子達は後ろから脱出させるみたいな感じで選んでいったような記憶があります。すまん!君は火力高い生徒だからもう少しここに残ってくれ!!みたいに言いながら。

さて、ここで「選択」が出てきました。先生が一番最初に聞いた一番意味ありげなセリフのひとつ、大事なのは経験ではなく、選択とは何だったのでしょうか?これのことだったのでしょうか?

ゲームにおける選択とは

時間を戻しましょう。ブルアカを始めた時、この言葉は少しインパクトがありました。これから何が始まるのだろうかという期待です。自分の選択によって云々というゲームは色々ありますが、肩透かしなものからフリーダム過ぎるものまで多種多様です。(まぁ言葉にはワクワクするもののあまり選択の価値がなかったり薄かったりして選択が強く生きるゲームはほぼない。)まぁ何度騙されてもちょっと期待させてくれる言葉が選択です。このゲームは初手こんなことを言うわけだから、何かを見せてくれるのだろうか?といつも通りの期待が膨らんでいきました。

が、そんな考えはすぐ消えることとなります。

なんということはない。普通のストーリーに多少選択肢がある程度の、普通のゲームです。選択について語っておきながら、まぁこんなもんか。いつもと同じという感じでしょう。特にブルアカの選択肢はつながっている会話の1つを選ぶのか片方を選ぶのかみたいな感じの選択肢なので、選択の中でもかなり薄味な選択ではないかなと思います。(ルート選択があるゲームではないので仕方ないですが)普通のゲームの普通の選択です。

確かにストーリーは頭ひとつ抜けて面白いです。何度も感情を揺さぶられ、目に涙を浮かべながらも腹を抱えて笑ってしまうようなことは何度もありました。何らかのコンセプトを各章、各イベントに感じますし、どれも最後は爽やかな青い空を見るような気持ちになるでしょう。ですが、あくまでも選択は凡庸なソシャゲのそれで、これに関しては普通という評価となります。(まぁ普通じゃないのを見つける方が難しいですが。)

自らの意思で選んだ選択、選ばされた選択

選択に関しては普通。そんな評価をしていた自分に対し、最終編は選択とは何かを明確に突きつけてきました。

脱出シークエンスで生徒たちを順番に逃がす先生。最後の生徒を逃がした後残る回数は1。後は先生が脱出すれば良い。ハッピーエンドです。

こんな状況の中、先生は今まで生徒たちを逃がしていた戦場に戻ってきました。この時自分はどうしたのか。

完全にノータイムで彼女を選択しました。

脊髄反射の如く、彼女を選びました。

それはもう自然過ぎる動作で、選んだ後に脳がそれを選んだことを認識しました。あんな体験今まで一度もなくて少し戸惑いました。そして理解しました。

「選択って、このことだったのか……」

経験ではなく選択。その選択。これが選択が重要と言いつつ平凡だと思わせたゲームが突きつけてきた選択です。

しかし、同時に脳が考える間もなく彼女を選んだその後、強烈に感じたことがあります。それは「これは間違いなく自分で選んだが、作者に選ばされた選択だった。でも、後悔は全くない。」という清々しい敗北のような感情です。

今までの2年間、プレーヤーの代わりにキヴォトスにいる先生とかいうやつが常に選択をしてきました。生徒を尊重し、生徒のために何かを選択する生徒第一の日々。我々プレーヤーはそれを2年間積み重ねて来ました。その結果がノータイムで彼女、いえ、生徒を選んだあの瞬間でした。間違いなく自分は作者にあの選択を選ぶように教育され、経験を積み、最終的にその選択を選ばされ、自らの意思で選んだのです。

ゲームとしては一本道だから選ばされているというのは事実です。しかし、その生徒を選んだのは間違いなく自分の意思。いえ、意思の反射です。その選択を選ぶように仕向けつつ、自分の意志で選び取る。矛盾するようなこのか細い道を通してきた。これが、ブルーアーカイブが自分に突きつけてきた「選択」でした。

これに気付いた時、かなり震えました。ゲームは自分の行動によって完結する作品なので、こういう体験はゲームでしか味わえないものです。それをものすごく強い演出でぶつけてきたブルーアーカイブは、本当に凄まじい作品だったなと今でも思います。

誰の最終章か。誰の始発点か。

ブルーアーカイブが周年イベントで最終章を打ち出して、一体なんだ?終わるんか?みたいな感じになりました。実際初めてこの最終編の存在を知った先生も何これ?と思うでしょう。しかし、最終章を体験した先生たちはみんな理解しています。そう、この最終章はプレナパテスの最終章なのだと。

プレナパデスの選択の末、たどり着いたこの結末。そしてプレナパデスから大切なものを先生が引き継ぐことで、彼の物語が終わりました。ではこの最終章Finalのサブタイトル、あまねく奇跡の始発点とは何でしょうか?誰にとっての始発点でしょうか?

先生?でも先生はすでに先生として立派に歩んでいるし、始発点というのも微妙です。もちろんこれから始まる奇跡の数々の始発点と理解してもいいですが、自分としては連邦生徒会長との会話で始発点は過ぎている認識なので違和感があります。様々な世界線で絶望に至るイベントを乗り越えたここからが新しい未来の始発点?それもあるかもですが絶望はタイミング的にこのイベントより前に発生しているもの(魔女や生贄)から先と思われるもの(アニメ放映タイミングの最新ストーリーである対策委員会編第3章で発生したと思われる様々な絶望)まで見えているので、ここを始発点とするのもやはり違和感を感じます。まだ危機を乗り越えていないわけですから。

そう考えて解釈すると、自分はプレーヤーの始発点ではないかと思います。

ここに至るまで、はっきり言ってプレーヤーたる自分は先生とは言えなかったと思います。少なくとも自分はここまでのブルアカで選択らしい選択など一度もした記憶がないです。しかしこの時、先生としての選択を行った時点で、初めてプレーヤーから先生になれたのです。この始発点はプレナパデスから先生のバトンを受け取ったプレーヤーが、本当の意味で次の先生になったスタート地点でした。つまり、ブルーアーカイブの第一部とも呼ぶべき最終章までのストーリーは、教育実習だったわけです。

自ら先生として恥じない選択を行い、プレナパデスから大切なものを引き継いだことで先生となったプレーヤーの、先生としての始発点がここだったのです。

先生になった日

この日をもって、自分はブルーアーカイブの先生になれました。

正直、リアルタイムでこの体験をできて本当に良かったと思います。ゲームでここまで震えるようなことはなかったどころか、その他経験を含めてもここまでのインパクトはなかなか無いと思います。誇張なく人生に衝撃が走った瞬間でした。信じてついてきた以上のものを貰えたからこそ、今後も色々あるでしょうが、一人の先生として結末を見届けたいなと思っています。


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