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エスカレーター1段分の間柄

ピンポーン、部屋のチャイムが鳴る。
やっと来たか、今行きますと大きめな声で返事してドアを開ける。服やら雑貨やらをAmazonさんで頼んでいたのだ。11時30分、家を出るぎりぎりだ。

今日は前から連絡をとっている大学時代の後輩ちゃんとデートだ。集合時間は13時、少し焦りながら駅へと向かう。今ではマスクをしないだけで怪訝な顔をされる、なんとも生きづらい世の中だ。

「雨、止むといいですね」

そんな後輩ちゃんの願いもむなしく天気は雨。そうそう、私は雨が嫌いじゃない。
傘を打つあの音を聴きながら外を歩くと、世界には自分しかいないような気分になる。でも今日はそんなことを考えている暇はない。出会って5年目の彼女とは在学時代は単に先輩と後輩という間柄だった。2人で遊びに行くこともなければ、たまたま帰り道で会えば話しながら帰る程度の関係。
どちらが始めたのかは分からないけれど、今年の4月くらいからずっとLINEが続いている。新社会人の彼女は悩みも多いらしい。本当は大阪で働くはずがこの時世風潮に呑まれて、今は京都で働いているらしい。

JR大阪駅で待ち合わせる。iPhoneで時間を見ると12時54分、早歩きで地下を泳ぐ。大阪梅田駅をもじって「うめダンジョン」なんて言われるほど、大阪駅は入り組んでいる。私はこの迷宮を完全攻略しているので、天井にある道案内よりも早いルートでダンジョンを駆け巡る。
待ち合わせ場所に着くとiPhoneが震えた。せんぱいはどこにいますか、とかわいいLINE。ルクアの前にいるよと返す。本当は相手の居場所を聞いてこちらから向かうのがいいんだろうけれど、入れ違いになっても嫌だしと自分を納得させる。
ほどなくして、とてとてと効果音の付きそうな歩き方でよく知った顔が近付いてくるのが見えた。お待たせしました、と笑う顔が嬉しそうで私まで笑顔になる。ひさしぶり、と言葉を交わすと歩を進める。
ごはんなににしよっか、なんて話しながら少し歩く。予約はしていないけど入れるだろうとよく行くお店のドアをくぐる。料理に舌鼓を打ちつつ他愛もないことを話す。話題の中心になるのはやっぱりサークルの友人や後輩たちだ。彼女の同期はまだ卒業していない人も多く、来年以降みんなが遠くに行くのが不安らしい。
楽器の話にもなる、彼女はもう全然ヴァイオリンを弾いていないらしい。それもそうか、去年の自分を思い浮かべてひとりごちる。私だってもうコンチェルトを弾く自信は無い。私がギターで弾く歌も知ってる曲が多いからいつも楽しみにしてくれると言う。リップサービスじゃなければいいな、なんて思いながら運ばれてきただし巻き玉子に箸を伸ばした。
今日はパンケーキを食べに行く予定だ。LINEしている時も、パンケーキの絵文字がかわいいとその絵文字を連打していた後輩ちゃんを思い出してにっこりする。

そろそろいい時間だとお会計。世の男性陣、どうやってスマートにお会計を済ますんだろうか。私は不器用だから後輩ちゃんにお願いをする。ちょっと先に出ててねと言うと、物分りのいい彼女は背伸びをして私の耳元でお礼を言う。狙っているのか分からないがたまらなく可愛い。いつかモテる男性に巧いお会計の仕方をご教授願いたいものだ。
パンケーキの予約までまだ時間がある。結構間が開いていたら電車に乗って美術館にでも行こうと考えていたが、そこまで余裕がある訳では無い。

「私、口がもうパンケーキを迎える準備万端なんですけど!!!!」

水溜まりに映る彼女が嬉しそうに揺れる。ご飯を美味しそうに食べるところ、真剣にいただきますを言うところ、写真を撮る時の澄んだ顔、この季節はこういう所が好きだとか語るところ、そういうところが愛おしい。あわよくばと手を伸ばすけれど、初めてのデートでするべきじゃないと、にこにこ話を聞くにとどめる。
時間を潰しにやってきたのは無印良品。食器を買いたいと言うと、私が選んであげますと意気込む後輩ちゃん。無印で選ぶも何も無いだろと笑いながら、買い物かごを手にする。あれつくりたいだとか、今度私が作ってあげますだとか、人をダメにするソファが欲しいだとか、自分はもうだめ人間だから逆に真人間になれるだとか、だらだらと買い物を進める。沈黙が苦じゃない人と話すのは心地いい。

予約していた時間になったので幸せのパンケーキへと足を向ける。後輩ちゃんは機嫌がいいのか後髪が跳ねている。犬みたいだなぁと思いながら横へ並ぶ。
一番奥の席に通され、メニューを見る。私はこういう時即決で、後輩ちゃんはよく悩む。案外この待つ時間も好きだ。表情がころころ変わるのを見ているのが楽しい。今は抹茶味と紅茶味で迷っているみたいだ。

「決められないから、せんぱいが決めてください。」

あざとさが限界突破しているけれど、表情を引き締めて抹茶がいいんじゃないと言葉を向ける。すると後輩ちゃんは、あーでも紅茶にしますとほほえんだ。せんぱいの好みが知りたかったので聞いてみました、なんて言う彼女は策士だと思う。これにはシャーロック・ホームズもお手上げだ。そうでしょ、ワトソンくんと頭の中でしょうもないことを考える。かわいさにやられている。そういえば、と話を切り出す。これだけは今日確認しようと思っていたことを聞く。

「きみ、今彼氏いたっけ」

声が震えないように気をつけて口を開く。後輩ちゃんは笑いながら否定する。今日のミッションは終わりだ。大学時代一瞬居たけれど、すぐ別れたと言う。パンケーキにのったホイップクリームは甘かった。
時間もいい頃、明日彼女は仕事らしい。本日2回目のお会計を済ませて外へ出る。後輩ちゃんは財布を開けながらお金を取り出す。全部出させるとこれから気軽に行けなくなっちゃうから、ということらしい。素直に受け取ってありがとうと頭をふわっと撫でる。

JR大阪駅まで見送りに行く。エスカレーターはひとつ分開けて乗る。これが今の距離感なんだと実感する。次会うときは半歩でも縮まるといいな、なんて。不意に近くに人が寄る気配を感じる。さっきのお返しですと笑った後輩ちゃんが唐突に私の頭を撫でる。エスカレーター1段分彼女が上にいるけれど、目線はそこまで変わらない。すぐに離れた彼女の耳が、確かに赤かったのを私は見逃すべきだった。

次また会う約束をして改札を抜ける後輩ちゃんを見送る。今日は一日出番のなかったライターに手を伸ばす、まだ少し熱を持った頬が冷めるまで、ちょうど煙草1本分の時間が必要だった。



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