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なんてことのない、いつかどこかであったかもしれない話。

駅からビルに続く高架橋で立ち止まる。時刻は20時と30分。

「終わりにしとくか。」

思ったよりもするすると、最後の言葉は口から流れ出る。彼女はうなずくと顔を伏せた。

彼女と付き合って2年と少しの木曜日。私は大学4年で卒業間近、彼女は大学3年の冬。
その日は2人とも講義があり、と言っても私は卒業論文も提出し終えて消化試合みたいなものだが、夕方からクラシックのコンサートを聴きに来ていた。

家へと向かう電車で思い出す。そういえば告白も私からだった。
台風で講義が休みになった平日に、2人でカフェに行った。普段は人前で吸わない煙草を、躊躇うことなく口にしたのを覚えている。
彼女はサークルの後輩、年は同じだが学年は1つ下。濃いめの茶色に染めた髪をポニーテールにした溌剌とした女性だ。

いつからどこに惹かれたんだろう。話が合うから、仕草がかわいいから、そんな単純な理由だったんだろう。通学路が途中まで同じで、サークル終わりは一緒によく帰っていた。
サークル内の役職も同じで、気づけば好きになっていた。周りからはよく付き合ってるのか聞かれたけど、その時はまだ唯の先輩と後輩だった。

カフェでコーヒーを飲み、台風に晒された昼の街を歩く。雨は降っていなかった。
そろそろ帰るかと駅に向かう途中、ぽろりと口から言葉がこぼれる。

「もう付き合ってもいいんじゃない?」

我ながら意気地のない告白だ。彼女は微笑むと、耳元でぽしょりと答えた。

「やっと言ってくれましたね」

どうやら待たれていたらしい。
晴れて私たちは恋人になった。周りからはまだ付き合ってなかったのか半ば呆れられていた。

夏祭りや旅行、大学生のカップルがしそうなことは一通りした気がする。
たくさん愛して、たくさん愛してもらった。お互いの進路や研究の話、もちろんサークルだって全力で楽しかった。
彼女は甘えたがりな割にツンとしてることもあり、ねこみたいだった。
会う頻度も多くて、だからだろう。少しずつずれていってしまった。小さな価値観の差はその都度落とし所を見つけていかないと、やがて広がってしまう。

今思えば悪いことをしたと思う。もう少し、あと少しだけ私が大人だったら全部飲み込んだ上で好きだと言えたんだろう。
きっかけが何かは覚えていない。多分本当に小さなことだ。今までは手を繋げていたのに、もう小指も触れない距離になっていった。


曲目はなんだっただろう。3曲のうち最後がラフマニノフの交響曲2番だったことは覚えている。
重くて悲しい愛のメロディが頭に流れたままホールを後にする。2月の割には暖かった気がする。今日みたいだ。
会場から駅に向かう高架橋で、ふと思い立って立ち止まった。彼女も何かを察したのか何も言わずにこちらを向く。


泣いたのは彼女だけだった。私も好きだった。本当に好きだったんだ。心だけ取り出せるなら全部彼女にあげたいくらいだった。
最後まで彼女は私の名前を呼ばず、「先輩」と呼んでいた。心残りはそれくらいか。

ねこみたいな君が、居心地のいい陽だまりみたいな場所を見つけていたら、きっとそれは私の知らない場所だといいな。


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