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後輩

ほんの少しアルコールの香りを感じながら目を覚ます。昨日少し飲みすぎたか、フォルダに撮ったおぼえのない写真がたくさんある。

よし、気合を入れて身体を起こす。今日は後輩ちゃんとの3回目のデート。どこかで聞いた話だと、3回目には告白するのが定番らしい。前回のデートであと少しだけ勇気を振り絞れずに言葉を零せなかった私は、どんな気持ちで今の私を見ているんだろう。

冷蔵庫を開けて昨日買っておいたヘパリーゼを手にする。このお方に今までどれほど救われたか。お昼を軽く一緒に食べるつもりだから野菜ジュースをささっと口にして洗面台に向かう。
いつもより丁寧目に髭を剃り、身支度をする。ぽたぽたと蛇口から滴る水の音は、私のはやる心を落ち着かせてくれる。この土曜日、台風が近づいているから髪はセットせずに出る。外を歩くだろうし、と思っていつものワックスも洗面台でお留守番だ。

雨が降らなくてよかった、そう言ったのは私だったか彼女だったか。集合の15分前に待ち合わせ場所へ到着する。ルクアの前、初めてデートに行った時と同じ場所だ。
時間ぴったりに後輩ちゃんが姿を見せる。いつもはとてとてと駆けてくるのに、今日は余裕の足取りだ。

「お久しぶり、、じゃないですね、こんにちは先輩!お仕事お疲れ様でした!!ちなみに私も五連勤したんで褒めてくださいね!!」

いつも通りのあざとさに苦笑いしつつも違和感に気がつく。そうか、だから彼女は走らなかったのか。いつもより顔が近い気がする、聞くと7cm上げてるらしい。いつもは20cm近くある身長差が今では15cmに満たない。これでエスカレーターで1段上に乗ると私の方が高いですね、なんて微笑む彼女はやっぱりかわいい。
そのまま地下におりてお昼ご飯を食べる。晩はハンバーガーを食べようと話していたので、お昼は軽めの和食に。最近の仕事の話、同じサークルだった人達の話、はまってる音楽の話…………。
たまにくる沈黙も心地よくて、丁寧に動く箸遣いに見惚れてしまう。ゆっくりと時間をかけて食べ終わり、外へ足を向ける。
今日はプラネタリウムを観るつもりだ。前々から行きたいと話していて、雨の日に星が見えるなんて贅沢ですねなんて彼女はつぶやく。そう思える感性に、それを言葉として唇から発する彼女に、私は恋をしているんだろう。

長いようで短い距離を歩く。右耳が聞こえない私を気遣って、今日も彼女は左側を歩く。たまに手が当たることはあっても、繋ぐことはしない。彼女は私のことを……なんて益体もないことを考えさせられる。彼女のことが好きだけれど、それを彼女は知っているんだろうか。知っていて欲しいような、知らないままでいて欲しいような。
大きい橋を渡る。中之島は建築が見物だ。均等に並んだ建物にガス燈のような電灯、頬を打つ霧雨はこれから先を映し出す鏡みたいだ。
プラネタリウムに入り、隣に腰掛ける。フランス製の椅子は私の体をやわらかく受け止めてくれる。これに座りながら仕事ができたらどれだけいいか、なんて軽口を叩きながら暗くなるのを待つ。

閉じた目を開けると、満天の星空が瞳に映る。まだまだ南の空に高く登る夏の星座の解説を聴きながら、今までのデートを思い起こす。目はペガスス座に向けながらも、意識は左側に座る彼女に。星座が映し出される度に息を飲む彼女が愛おしくて、肘掛に置いた手を重ねてくれないかなんて考える。水瓶座と南のうお座を通って彼女を盗み見る。意識を天上に向けると、頭を柔らかい椅子に預けた。仮想天球に映る火星はそれでも、それでも綺麗だった。今は木星も土星も火星も、金星だって見える。本物じゃない星は、本物じゃないからこそ美しい。偽物は悪ではなくて、偽物なりの魅せ方がある。

「今日は曇ってて見えないですけど、いつか一緒に見ましょうね」

耳元でそっと呟いて、彼女は軽い足取りで出口へと向かう。時刻は17時とすこし、薄暗くなってきたもののまだまだ明るい。
お昼を食べたのがさっきだったのもあり、歩いてお腹を空かせることになった。いつか行きたい旅行の話をしながら夕方の橋を渡る。中之島の照明は、全体的に淡い。行き交う車のヘッドライトも相まって、夢の中にいるみたいだ。
そろそろ食べよっか。そう言って彼女を店へと連れていく。メニューを見ながらどれにするか決める。私はいつも通りすぐに決まって、真剣な顔で悩む後輩ちゃんを眺める。むぅ、と唸っていた彼女も今回は早く決められたらしい。

「どれにするの、早いこと決まったな」

明るい声で聞くと、後輩ちゃんは満面の笑みで言う。

「せんぱいと同じやつにします!!」

なんで彼女はメニューを眺めていたんだろう。
結局秋だからということでキノコが入ったバーガーに。サイドメニューのスープを飲む彼女は、嬉しそうに秋を語る。季節を楽しめる人は、この国で生きるのに向いていると思う。浴衣で京都に行くのはもう寒いかな、と言うと何とか暖かく着る方法を探しましょうねと返ってくる。もし今日告白して返事が芳しくなかったら、この楽しみな予定も消えてしまうと考えると尻込みしてしまう。

時刻は18時半、外は暗い、もうすぐ帰らないと。やっぱり私はお会計が苦手だ。今度こそ私が!と息巻いている後輩ちゃんを宥めすかして財布を出す。このままだと私だめになっちゃいますと、しょんぼりしている彼女の髪を撫でる。ちょっと歩こうかと外へ誘う。

淡い光に照らされた街中の川沿いを歩く。そうか、今日言わないとまた後悔してしまう。ビルから漏れる光を背中にして立ち止まる。

「ねぇ、突然で今更で、」

彼女は驚いた顔をしてすぐに察したように目を私に向ける。

「好きです、付き合って欲しいです。」

返事が怖くて目を伏せる。踏み出した勇気のせいでこれからの関係は変わってしまう。
少ししても返事がないから目を開ける、泣きながら笑う後輩ちゃんがそこには居て、

「そんなの……そんなの、私も好きですよ……。でも自信がなくて、先輩は女の子と遊ぶの慣れてるから……。」

彼女は堰を切ったように話し出す。

「先輩はいつも優しいし、私の代の人と付き合ってたことがあるし、私はただの後輩だし、先輩の気持ちがわからなくて。私はそんな好きでもない人とLINE毎日しないし、浴衣で京都なんて誘わないし、それでも私の気持ちがバレるのが怖いし、でも全部今日で終わりですね。私のために照れてくれて、私のために勇気を出してくれて、」

一呼吸置いて、涙をふいてから1歩だけこちらに近づくと今まで見た事のない表情で唇を動かす。

「私もとっくに好きです、これからよろしくお願いしますね。」

安心感と疲労感がまざって長い息を吐く。彼女は嬉しそうに私の手をとると、帰り道へと誘う。
そう、いつも通り解散は早くて、毎日1往復するくらいの連絡頻度で、毎日が普通よりもちょっとだけ、でも確実に楽しくなるんだろう。
お互い社会人で予定を合わせるのが難しいけれど、旅行もしたいですね、と彼女は笑う。

恋人になったけど、名前で呼ばれるようになっても、敬語が抜けても、彼女はずっと後輩ちゃんなんだろう。

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