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高低差20cmにとどかない

JRが私を運んでくれるのはいつぶりだろうか。外出がはばかれるから電車なんてほとんどつかわなくなってしまった。職場まで徒歩20分な私も、今日ばっかりは駅までの長い道のりを行く。唐突に決まった2度目のデートだ。
彼女は通称後輩ちゃん、大学時代のサークルの後輩だ。

前に会ってから2ヶ月弱、私は仕事に忙殺されていた。仕事でも謝罪の時しか履かない革靴、いつもみたいにワイドパンツと緩めのシャツ、どうせ汗かくしとワックスと香水はつけないで少し早めに家を出る。
音楽を聴きながら電車に揺られる、後輩ちゃんは今日も仕事らしい。一昨日までは旅行に行っていて久しぶりだから、不本意ながら頑張っているらしい。何を食べようか考えていたら車内アナウンスが目的地に着いたことを知らせてくれる。
待ち合わせ場所はJR京都駅、彼女の勤め先の近くだ。私は京都に行くとなると阪急電車で河原町に行くから、こっちにくるのは久しぶりだ。中央改札を出て建物の存在に圧倒される。左右に高く開けた景色は自分の場違い感を強調する。待ち合わせ時間までまだ少しあるので、身だしなみを整えに行く。エスカレーターで1番上までのぼって、街を一望して驚く。建物の高さが条例で制限されているから、空が広い。目の前の京都タワーの配色に疑問を抱きつつもふらふらと歩く。
夏の終わりが夜に溶ける頃、彼女からのメッセージが私のiPhoneを彩る。

「たぶんいま、先輩の近くにいます」

恥ずかしいからすぐには顔を上げずゆっくりと周りを見渡すと、微笑みながらとてとてと歩いてくる彼女と目が合う。ね、言ったでしょと自慢げな後輩は私の前で立ち止まる。
仕事の終わる時間が読めなかったからお店の予約はしていない、駅から歩いて目に付いたビルに入る。4連休の初日だからか席は満席、やっぱり駅へ戻ることにした。歩かせてごめんなと謝ると、こうやって先輩とふらふらするの好きだからと可愛い返事、なんで付き合ってないんだろう私たち。
仕事終わりだしスーツで来るかなと思っていたのに彼女は私服だ。ダークグリーンで透け感のあるブラウスに長めの黒いスカート、好みのど真ん中だけど直球でほめるには少し勇気が足りないから、なぜ私服なのか聞く。どうやら一旦家に帰ってわざわざまた出てきたらしい。せっかく2ヶ月ぶりに会うからと笑う彼女は、夜の淡い光に照らされて綺麗だった。

駅内を散策しながら何を食べるか話す。ひょっこりと私の右側から顔を出す彼女に、右耳がほとんど聞こえないからできたら左にいて欲しいと伝える。彼女は立ち止まって瞠目し、知らなかったです、と悲しそうにつぶやく。
初めて会ってから4年は経つけれど、大学時代はそこまで話すわけではなかったから伝えてなかったのだ。軽く聞き流してくれるかと思っていたけれど、衝撃を与えてしまったらしい。私達が所属していたのはオーケストラだから、そりゃ耳が聞こえないのは驚きか。落ち込ませるつもりなかったと言って頬を撫でると、彼女はいそいそと左側に来てくれる。この日はその後1度たりとも彼女が私の右側に立つことは無かった。

結局入ったのはとんかつ屋さん、並びながら2人でメニューを見る。前回に引き続き、私は一瞬で頼むものを決めてしまう。隣でぶつぶつ何にしようか思案している後輩ちゃんを横目に、デザートのごま団子とか美味しそうだなぁとメニュー表をめくっていく。

「カニクリームコロッケって私、カニを感じたことがないんですよね。もうカニクリームコロッケって名前がだめですね、クリームコロッケ(かに)にするべき。」

なにを食べるかきまらなさすぎておかしくなってしまったんだろうか。私の好きなカニクリームコロッケをコテンパンに言われて思わず笑ってしまう。せんぱいと違うやつにします、と言って帆立のカツを頼むことにしたらしい。
ソースに入れるごまを擦りながら、旅行の話をしてくれる。家族で山に行ったこと、涼しくて汗を全然かかなかったこと、露天風呂に入ったこと、大変不本意ながら仕事のために帰ってきたこと、彼女の話を聞いていると風景が目に浮かぶようだ。選ぶ言葉ひとつひとつが私と似ていて、どこかくすぐったい気持ちになる。
次会うときはどこにいきましょうか、なんてもう次回があることが確定しているらしい。当たり前に次の予定がたてられるのは距離が縮まっている証拠だろうか。当たり前じゃなかったことが当たり前になる瞬間はいつも少し寂しくて、甘い。

デザートのごま団子も美味しくいただいて、お会計。やっぱり私はいつまでたっても不器用で、上手にお支払いができない。空気を読んで外で待ってくれていた彼女は、私の腕をさすりながらありがとうございますと言う。いつも通りのあざとさに、私は一生勝てないんだろう。
後輩ちゃんは明日も仕事なので、早々に改札へ向かう。歩みが遅いのは私のせいか、それとも。気にする方が野暮だろう。
下りのエスカレーターに身体を預ける。先に私が乗ると、彼女はすぐ後ろに乗ってくる。前までは1段分空けていたのに。身長差約20cm、今はほとんど同じで息遣いが聞こえてしまうほど近い。無言の時間はどこか心地よくて、少しだけ物足りない。不意に彼女が手を上げて、私の髪に触れる。

「先輩って髪の毛柔らかいですよね」

そう言うと細い指で私の髪をもてあそぶ。そのまま手を左耳に添えて撫でられる。こっちがよく聞こえる方なんですね、なんて突然どうしたんだろうか。
振り返るとすぐそこに綺麗な顔があって、今まで気にしていなかった泣きぼくろに目がいく。そのままさっき触れた頬、普段よりも色濃い形の良い唇へと目線が落ちる。彼女は私の目を覗き込むように顔を近づけてくる、重力に負けた髪が私の頬を伝う。俺さ、言いかけたところでエスカレーターは終わりを迎える。

なんでもない、と誤魔化して足を前に出す。たぶん今だったんだろう。彼女は不思議そうな、それでいて残念そうな顔をして首をこてんと横に倒す。言葉ひとつも満足にこぼせない私を、勇気がほんの少しだけ足りなかった私を、いつか笑って欲しい。
彼女の髪に指を通して改札を抜ける。手入れされた髪はするりと手を滑っていく。今日はありがとう、次会うときはもうちょっと涼しいかななんて、早くなった心臓の鼓動を誤魔化すように口から言葉が溢れる。

前回と違って煙草を忘れた私を、名残惜しい空気もろともJRが運んでいく。たぶん何を言うか彼女は分かってたんだろう。秋はすぐそこで夏はもういなくて、いつになったら私は。

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