深夜のひとりごと
久しぶりに「言葉を紡ぎたい」と思った。
こんなにも無性に何かを言葉にしたいと思ったのはいつぶりだろう。
今の私は初めての育児に翻弄されっぱなしだ。
この前までねんね期だった赤子がいつの間にか歩くようになり、今では家の中を縦横無尽に駆け回っている。
子どもにとっては毎日が成長で、昨日まで出来なかったことを今日は平気な顔でやってのけるし、何ならいきなりワンステップもツーステップもすっ飛ばした行動をサラッとこなしてしまう。
親としては嬉しい反面、「えっ、もうそんなことができちゃうの!?」と毎日がドキドキの連続である。
大変なこともたくさんあるけれど、私にとって我が子はやっぱり可愛いし何にも変えられない大切な存在だ。
だから毎日、何かと構い構われている。
そんな毎日が忙しいながらも充実していて「幸せだなぁ」と思う反面、母親という代わりの利かない役割に少しばかり疲れてしまうこともある。
母親という立場上からか何をしていても常に子どものことが頭の片隅にあって、真に心が休まる時間が極端に減ってしまった気がする。
それに伴ってか、自分のために時間を使うということも難しくなってしまった。
その際たるものが「言葉に触れる機会の減少」だと思う。
出産前は体調が不安定ながらも自分の時間が確保できていた。
だから自分の好きなタイミングで言葉に触れ、思うがままに文章を綴ることができていた。
それが当たり前だったし、これからもそうだと思っていた。
でも、実際に子どもが産まれてみるとそうもいかなくなった。
子どもが大事だからこそ、一緒に過ごせる時間を大切にしたい。
特に子どもが小さいうちはできる限り傍にいて思う存分甘えさせてあげたいし、幼心に寂しい思いはしてほしくない。
けれど、子どもと過ごす時間を大切にすればするほど、自分自身に割ける時間は限られてしまうわけでして。
どんなに時間配分を調整しても、どんなに綿密に計画を立てても、予定通りにいかないのが育児というもので。
結局は家事と育児に奔走して、全てが片付いた夜にはクタクタで布団に潜り込んでしまう。
あ、子どもが起きちゃったので一時中断。
はい、無事寝てくれたので再開。
こんな感じで完璧な自分時間の確保というものはとても難しいわけですが。それでも、この子が無事産まれてきてくれたことには感謝しかありません。
文章に触れる機会が減ってしまったのは寂しいけれど、この子のおかげで文章だけでは知ることのできなかった様々な景色を、感情を、経験を知ることができたから。
そしてそれは、これから先もずっと変わることはないでしょう。
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