「コント番組」に幻想を持つのはやめた方がいい
どうも、あずきです。
今日個人的な怨念も込みの記事になりますので、そこら辺はご了承ください。
先日、大成功に終わったFNS27時間テレビ2024日本一楽しい学園祭ですが、早くもテレビクラスタでは来年もカギでやってほしいなどの意見が出てきていますが、その中であった意見
「コント番組としての矜持がないのか」
というものに対して私の思う私見を書いていきたいと思います。
結論
まぁ、これに尽きるんですけど・・・・
なんでこんなに幻想を持つのをやめろというのかというとコント番組の性質やそれに伴った芸人の売れ方などに関係をしていくわけです。
バナナマンの設楽さんがかつてラジオで「コント芸人は2回売れないといけない。1つはコントのキャラクターとしてもうひとつは芸人本人として」と語っていたように「コントのキャラクターだけで受けてもその先の仕事に繋がらない」と言うものがあります。
コントのキャラクターだけで売れ続けたのはそれこそ生涯をコントに捧げた志村けんさんぐらいで、彼も時折見せる素やエピソードで男気あふれるものがたくさんあるのでやはり「キャラと素の2回売れ続ける」ことが芸人として必要になっていきます。
この両面で売れるということと番組を長く続けることの両立というのはかなり難しいというのが「コント番組がいつの間にか総合バラエティ番組と称して、いつの間にかゲームやゲスト俳優や素人いじり番組になってしまう」という構図の正体です。
この芸人が2度売れる必要があるという構造とコント番組の制作の難しさも併せて見せていきましょう。
ちなみにここでは「コント番組やセットを組むのに費用がかかる割にはタイパやコスパが悪いから」みたいななんちゃってスポンサー視点の話はしません。もっと本質的なところです。
名物キャラクターやコントを生み出し続けることはそう簡単ではない
これは大前提の話で、それこそ志村けんさんはバカ殿をはじめとし変なおじさんやひとみ婆さんなど、「何年選手だよそのキャラクター」という名物キャラクターを何個も持っていますが、あれも生涯コントをやり続けたから生み出せた代物です。
ひょうきん族の明石家さんまさんは代表作「たけちゃんマンのブラックデビル」ごっつええ感じの浜田さんは「エキセントリック少年ボウイ」とんねるずは「仮面ノリダー」等、社会現象になるキャラクターが1つないしは2つあれば十分です。というかそれ以前のキャラクターは余程のファンは知っていますが一般にはほとんど知られていないというのが実情です。
もう少し最近までいけばめちゃイケで濱口のどぜうもん、極楽山さんの油谷さんなんかは深夜時代からのキャラクターですし、加藤さんの爆裂お父さんはゴールデン進出後の初期のコントから、山さんはゴールデンに上がってからのスモウライダーなどのキャラもありますが原則めちゃイケがゴールデンにいってからの名物キャラクターは深夜時代や初期コントのリメイクなどが多いです。
それぐらい「芸人や番組の代名詞と言われるぐらいのコントキャラクターをいくつも生み出すこと」って難しいです。
狙ってできるものでもないですし、一回売れたキャラクターがあるとどうしてもそれをアレンジして使おうとして上滑りとかもしてしまいがちになります。
山さんの例で言えばなんで2つ成功したかは明らかで「正反対」なんですよね。油谷さんは男性レギュラー陣の上をローションで滑るという屈辱を与えるドSキャラ、スモウライダーは関取団やお雛様にいじめられるドMキャラという似たキャラと見なされない工夫のおかげです。
あとは連続コントに関しても長期かつストーリー性を帯びるようになると「色々めちゃくちゃな面」が出てきます。例えば笑う犬の「てるとたいぞう」という名物コントがありましたが途中から殉職した「たいぞう」のそっくりさんに恋を抱いてコーナーを続けるという「ドラマ」としてみた時には筋破綻してる形で強引に続いていたりだとか(フォローですがめちゃくちゃ面白かったですよ)、どうしても盛り上げようとして無理が出てきたりします。それが視聴者から見て興醒めとみなされると一気に寿命を縮めることになるわけです。
レギュラー出演者という「呪縛」
日本のバラエティ番組は基本的に数組の芸人や俳優がレギュラー出演者として出演し、「そのメンバーのほとんどが番組終了まで出続ける前提」で座組がされるという点です。(女性出演者を中心に一部の入れ替えはあります。)
これを先ほどの大前提と組み合わせるとコント番組にとって「呪縛」として作用してしまう面が大きいと思うんです。
そんなにポンポンキャラは生み出せるわけじゃない、レギュラー出演者だけの技量ではマンネリやネタ切れなどを打破できないとなった時に日本のバラエティ番組の仕組みでは「メンバー入れ替え」というカードはないに等しいです。
過去大規模にやってプチ成功した例も数例(ウリナリ)ありますが、大抵は「無用な炎上」を招いて番組の寿命を縮めたり、入れ替えをせずに追加だけだと新メンバーは永遠に【新】メンバーとして扱われ番組内での活躍の機会がそれほどなく終わってしまうという形になってしまいます。
だから、コント番組のレギュラー出演者というのは日本のバラエティ番組の仕組みだと「呪縛」に近い存在だと思います。というか絶望的に相性が悪い。
じゃあ、コント番組として長く続けるためにと高度に仕組みかされているのがアメリカの超長寿生放送コント番組 "Saturday Night Live"をあげられます。あの番組は「シーズン制」をとり、出演者をシーズンごとに入れ替えて「名をあげたレギュラーは番組をキッパリ卒業し、マンネリを避けて、名物キャラクターを生み出し続けている」ということです。
という上記のSaturday Night Liveの仕組みを部分的にパクろうとして色々やらかしたのがピカルの定理だったわけです。1stや2ndでの抽選という形の強制卒業や休養が炎上を招いた面は否めず、3rd以降はその仕組み自体の凍結などがありました。この裏には当時吉本が本家映像を買い付けて配信したり、ピカルの2ndシーズンの時には月1休止して、当時のメンバーに明石家さんまと今田耕司を加えて日本版を制作したりしていたと言う事情もありますが・・・
この2つの前提が揃うと日本のコント番組というのはどうしても「出演者の素を売り込んで番組を盛り上げよう(延命させよう)」という方向にシフトしてしまうのです。
コント番組にこだわるのであれば、正直クソつまらない回やパワーが無くなってきて惨めな扱いを受けたりする番組を見ることで支えて、カンフル剤としての出演者の入れ替えを受け入れる覚悟はあるのか
ネットで色々いうコント番組至上主義の皆様は「その番組がコント番組として続けるために実験的だがクソつまらないコントや出演者の入れ替えを受け入れる覚悟があるのか。」を問い直して欲しいと思います。
「名物キャラクターを生み出すまでの産みの苦しみを出演者やスタッフと共有して番組を見続ける覚悟がありますか?その間数字が下がって特番で潰されたり新規のイベントが無くなったりする期間もきちんと見守って、その結果打ち切られたとしてもそれを受け入れる覚悟がありますか?」
多分、コント番組がいいと文句言ってる人たちの大半は上記の質問に「はい」とは答えるけど実際には色々理由をつけて見なくなるんですよ。
過去に私(もう消した過去のアカウントです)に対してレッドシアターのネガキャンとピカルを持ち上げる意見をツイートしてた人。「3rdになってコント減った途端、裏番組の実況ツイートしてましたから。」(そこまで確認しに行く私も私ですが・・・)
「コントがいい。⚪︎⚪︎がいい。」っていう視聴者の意見なんてその時一時の感情なんですよ。結局コントがつまんなかったら離れるし、出演者が入れ替えたりしたら死ぬほど文句言うし、それでも最後まで見続けるみたいな人は基本いないんですよ。
「うるせーからその番組の最期まで見届ける気がないなら黙れよ」と言うのが私のこのコント番組論争に対する暴論です。
途中感情的になってしまいましたが・・・吐き出すだけ吐き出してXでぐちぐち言わないようにすると言うのがこのnoteの目的でもありますので・・・・
それでは、今日はここまで
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