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小説『人 柱(仮)』・序の2

※序の3以降、チョイと数日お休みします。ごめんなさい。

 松田は"こうもり"にあずけていた躰を起こすと肉の薄くなった肩幅に足を開き躰を固定させた。左目を閉じた松田の顔の中心。伸びきらない腕を伸ばしこうもりを目線の高さまでゆっくりと持ち上げベアトリーチェとの対峙を試みた。躰が前後に揺れる。苛立ちと揺れを制御するためだろう。
松田は、ひとつ… 右足をダンと踏み鳴らすと躰の揺れが止まる。
「…ったくよ。ウサギじゃねぇんだ。イチイチ足を踏み鳴らさなけりゃならねぇかい」松田が一人ごちる。
 
 入館の際に松田の手にする"こうもり"を巡ってひと悶着があった。
「恐れ入りますが、傘の持ち込みはご遠慮いただいておりまして。恐縮ですが受付に預けて頂き、引き替えの番号札を受け取ってください」慇懃であり知的な美術館職員が爽やかな笑顔を魅せながら松田にそう告げた。歳のころなら30代前半だろう。柔らかな笑顔からは教養に裏打ちされた自信が漲っている様に感じられた。
「申し訳ない。実はこのこうもりはわたしの杖代わりでしてね。これが無いと満足に歩くことが儘為らんのです」松田は青年職員にそう告げると、ジャケットの内ポケットから取り出したパスケースをその青年に提示した。
「……畏まりました。それではどうか時間の許す限りごゆっくり」青年はそう言葉を残し定位置に戻ると上司と思しき中年男性に報告をしているようだった。
 松田が提示したパスケースには「免罪符」が収められていた。
 尊厳死のタイムリミットひと月前になると配布される免罪符は、公共交通機関、公共施設はフリーパスであり、タクシーなどは5割引きとなるものであった。
「本証を持つ者による本証提示にあっては、公共のサービスを提供する以下に示す公共インフラ施設等は提示者の利益を阻害してはならない。日本国内閣総理大臣 菊田錬三郎」
 これが尊厳死を選択した者に与えられる一つの免罪符だった。

                 ◆

 2026年春の年金政策破綻以降、国民はもとより与野党入り乱れ、スキャンダルの弾が飛び交った。与党内では2024年には前向きな解散決定が選択されていたはずの「旧派閥」の長にすら官房機密費から"実弾"が飛び交った。2026年ぐらいのものではなかったろうか。一年で4人の官房長官の首が挿げ替えられ副官房長官人事も含めると8名の首が刷新をみた。
 この年の官房機密費(内閣官房報償費)の支出合計は30億円を超えており、使途に関しては「政策の円滑かつ効果的推進のため官房長官であるわたしの判断で機動的に使用することが必要な政策推進費として使用しており、適宜支出している。その上で、内閣官房報償費は国の機密保持上、使途を明らかにすることは適当でない性格の経費として使用されてきており、個別具体的な使途については、回答を一切差し控えてきている」と従来からの立場を繰り返した。

 では、「厚生労働省所管事業 社会福祉推進法・尊厳死選択の自由化法案」とはどの様な法案だったのだろうか。ここで暫くその法案の骨子を眺め見てみるとしよう。

①日本国は長らく尊厳死と安楽死というアンチノミーが存在していた。例えば尊厳死は延命治療の停止(消極的安楽死)を指すとの見解が世論でありマジョリティーであり司法上の判断に重用されてきた。これは患者の人権に鑑みたQOL(クオリティー オブ ライフ)への尊重という考え方が根本に存在したのだが、他方で尊厳死という患者側からの嘆願により自発的な死を選択し能動的且つ積極的な安楽死を認め幇助することによって、家族、親族などから「殺人」として提訴される場合も想定された。従って、2027年までは日本国には尊厳死を担保する法律が存在していなかった経緯があった。

小説『人 柱(仮)』序の3につづく

クイドレーニ 1575誕  1642歿  
ベアトリーチェ・チェンチの肖像


ご案内
本稿は第一稿であるため完成時においては適宜修正が入ることをお知らせ申し上げます。尚、本作「序」は結構長いのであります(笑)

※定かではありませんが、e-pubooで完成版を上げる予定としています。
社会派作品に美が馴染むのか。
ひとつの実験。 未来という時代小説。ヤバイ話になりそうです。

なお、note、アメブロでは「序」のみの公開です。


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