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随想好日 第四十六話 『ここまでのアクセス』の御礼とか

 さて、春に向けての作品の仕上げも佳境を迎えた今日この頃。あと二本。なんとしても今回は三本あげるつもりで頑張っております。
 ここでアップする予定のPersona(仮面)も中途のままとなっていますね。春のコンペ用の作品が仕上がった時点で手を入れて行こうと考えています。興味がおありの方は今しばらくお待ちくださいね。

 今日は、ここまでのアクセスのご案内をさせていただきましょう。
ではさっそくpvを見てみますか。

 因みに集計は「全期間」での値です。

一位が 伊東深水の「春の雪」について書かせて頂いたエセー。概ね2カ月半で、677pvです。これに関してはnoteの公式ギャラリーに拾って頂けたのでここまで伸びたのでしょうね。有難いことでございます。

二位が、秋(空き)時間氏のエゴンシーレ展探訪エセーを紹介させて頂いた原稿なのですが、わたし流の観方なども併せて紹介させて頂いた原稿。こちらがpv564……これまた凄い数字です。

第三位、二人のクリエーターさんを紹介させて頂いた「色は匂えど……」ですね。pv533頂戴しております。正直申し上げて、紹介させて頂いた方もホッと胸を撫で下ろしたというのが偽らざるところです。

第四位、出ました「お遊戯」です ! ! pv457ってどうよ。すごくない ? もうね本当に有難いのです。笑ってくれても結構、ネタにされても結構なのです。だってさ、200人しかフォロワーさんを戴いていないのに、pv457て文句言うこと ? そりゃぁね、褒めて頂ければ嬉しいけどさ、それよりなにより、見て頂くこと、読んで頂くことでしょ。書き手も読み手もシロウトなんだからさ。読んで頂いて、見て頂いて本当にありがとうございます。
 書ける ? (笑) いんじゃないの♬ あれ(笑) ああいう原稿ッてさ、スキを押してくれる人に特徴出るよね~フフフ。
誤解されると怖いけどね、これもひとつの "俺流ザマぁ文芸"
まだの人は是非その世界観をおひとつ ! !

第五位、一番直近にあげた原稿だね、「若き詩人があゆんでゆく」四日ぐらいでpv456って、今晩あたり四位になるだろうね♬ フォローさせて頂いている"そら氏"を紹介した原稿なんだけどね、申し訳ないけど、エゴンシーレの画を観て来てからの氏の詩編はとんでもないことになってる。
あ~自信持っべきだわ。だって私が感動してるんだから。
 即ち、ギッチリと"ゴスペル"になっているということ。
 なんか、詩人の中でもさ、陰湿ないじめみたいのあるらしいけど、良い作品にたくさん巡り合ってたくさん書いて欲しいね。

第六位が、429pvで鈴木涼美さんの「グレイスレス」の俺流読後かんそう文。なんか、私このあいだ、数字間違えて書いたかもしれないけど、それにしても、良い伸びしております。スキが83でしょ。こちらもスキを押して頂ける人たちに特徴が覗えますね。

第十位までが、pv400upですね。
てかさ、わたしの作品の場合、プロパーでスキを頂戴出来るのは概ね60程度まで。あとは外部の皆様からという感じかな。
この原稿はあきまへん。スキは稼げません(笑)


 さて、先ほども書かせて頂きましたが、紹介原稿が5本入ってます。これは書き手のわたしにとりまして、本当に有難く、お運び頂けた皆様に心からの感謝を申し上げなければならないでしょう。有り難うございます。
 ブッチャケ書きますとね、スキを戴くに越したことは無いのですが、スキはね、色々な都合や事情が渦巻きますからね、押しやすいスキと押しにくいスキがあって当然なのです。
 それよりも、わたしが感動することが重要なのです。わたしが嫉妬することが大切なのです。それが正しい嫉妬のあるべき姿。自己完結できること。それを正しく表現できること。
 ここで紹介させて頂いた皆さんには、大なり小なりの嫉妬を感じ、感動を頂戴しています。心動かされたわけですね。

 もちろん、ここに紹介した人たち以外にも紹介したい人達がたくさんいるのですが、それもまた追々紹介させて頂きたいと思います
 もうね、わたしSeiji Aritaさんにしろ、うたがわきしみさんにしろ、そらさんにしても、なんだろうなぁ……ごめんね、ゴスペルしかダメなんだわ(笑)
しょうがないのよ(笑)
好みの問題だからね。"あなた"の好みじゃないのだわ、わたしの好みの問題だから。女性の書き手でもおられるのだけど、まぁ、またその辺は追々ね。

さて、本当に沢山の皆さんに読んで頂けておりますこと、重ねて厚く御礼申し上げます。いいのいいの。どんな読み方してくれても。読まれている内が花なのだから。

世一

追記
気が向いたら読んでね。

 参考になるかどうかわからないけど、オッサンの戯言として読んでくれれば嬉しい。
ゴスペルって云うのは「福音書」のことなのね。例えばキリスト教には聖書と、この福音書と教義書(Doctrine)があるわけだけどね、これらの特徴は、共感を求めていないことにある。共感を求めようとするのは、これらの存在と信者とをつなぐ「宣教師」や「牧師」さんたち。ただ、彼らがゴスペルを読んだところで感動も共感生まれない。何故なら、神との対峙は本人だけのものだから。そこにゴスペルやバイブルやドクトリンが介在するから人は感動する。言うなれば神の御言葉だ。
 宣教師や牧師さんたちは、自分たちの平易な言葉を用いて共感を得ながら信仰の姿勢を確かなものへと高めるお手伝いをされる。
 だからわたしはいつもいうことなのだけど、どっちを目指すのかっていうのはそういうことなのね。感動を引き出すのか、共感を紡ぐのか。両方目指すのか……


共感は触媒を必要とする。しかし、感動は一対一で存在し得る。
共感はコミュニティーという触媒が最も強い。
でも……脆いよな。ご存知のように。そのうち共感迷子、共感疲弊となる。
人を救えるのは感動を伝えることだとわたしは思っている。


だってさ、感動は人間の本能に近い心の動きなのだから。
辛くなったら、一人で感動すればいんだよ。
うんちの長さに感動すればいい。臭いに感動すればいい。
とにかく手当たり次第に感動すればいい。
そのうち本物が見つかる。自分にとって大切なものが見つかるから。
てのは、わたしの考え方なので、真理ではない。
どうも、言葉足らずが目に付くなぁ。推敲をしてからアップすればよいのだろうが。
あ~ぁ、今日もまた夜が明けた ! ! 一日がはじまってくれる ! ! 有り難う宇宙
有り難う地球、有り難う日本。ありがとう神々、ご先祖様。天使も妖精もフォロワーさんも有り難う ! !

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