人口ってなんで人と口と書くのかわかった

                       大阪府大東市 東 克宏

古代中国では、食糧を必要とする者を「口」と呼んでいたそうな。口の数=人の数、現在でも中国では我が家は四人家族というのを「我家有四口人」と使うようです。食い物を必要とする人を増やす、語源から見ると諸手でもないな、これは。関係であったり交流であったり食糧を必要とするか、運んで落としてくれるか、砂漠バッタの大群襲来のように招かざる客と化すのかによって人の口はその都市にとって厄介者かホワイト内とかに分かれる、どちらにしてもいまだに一喜一憂の事柄に間違いはなさそうだ。

国勢調査の速報値が出ます、もうじき

自治体にとって人の口の数が一番気になる季節がやってきた。特に今年度はソワソワする、そう国勢調査の速報が発表になります。なんでヤキモキするかというとこの国調人口は今後5年間あらゆる行政サービスの基礎数値となり、交付税算定や各種計画の将来推計の元データとなるのだ。特に自治体間の財源調整機能を担う地方交付税交付金は人口10万人、面積100㎢の架空都市で掛かるであろう各単位費用に各地の地勢、人口密度などの係数を掛け合わせて算出されるので、単純な話100万人ならば経費10倍かかるよねってことなんだけど、実際は小数点以下の桁数がおいおい平方根かよ!って長い係数をかけて、基準財政基準額と収入額の額をやっとこさ出してもさらに平方根を✖️という自治体財政担当には長く憂鬱な「夏の友」の時期がやってくるのだ。減少すれば需要額が小さくなり交付される交付税額に影響がある。1億円毎年減少すると5年で5億円が収入されなくなり、交付税だけでなく各種交付金の割り落とし率も高くなったり総額では一億円ではすまなくなるのだ。生まれる子供の数が減ったからといってその部門の職員数をフレキシブルに対応できるほど自治体組織は柔軟なはずもなく、人の数=部長、課長のマネジメント能力評価の指標ともなればアーメン

成熟型まちづくり、かぁ

松下圭一さんである。菅直人さんの師匠だとか革命思想だとかは別とし、ちょうど大東市役所に入庁したての一時期何冊も貪り読んだ。過激だとかの予備知識もなく、ナショナルミニマム、シビルミニマムとシビルマキシマム、量的整備、質的充足という語感がカッコよく当時担当させていただいていた毎年度の施政方針作成には必ずどこかに引用をさも自分で考案したが如く忍ばせてきた。「人口減少時代の都市」の視座も松下本のどこかにあるフレーズの焼き直しのような気がして、決してつまらないという意味でなく、ようやく革命思想家と言われる松下圭一の慧眼が汎用的な考えとなり、時代が追い付いたのかと。
 人口増加時代に書かれたシビルミニマムは人口減少時代のシビルミニマムではなく、より拡大し拡散するが故に勘違いして財源調整機能の一つの項目に入れてしまったり、全国横並び、護送船団で運んでしまおうとする。
どこかパン🍞と書物議論に似ていてどちらも必要では節操もない。

 後半の今後の対策、シュタットベルケにしてもどうも水平的な話に聞こえてしまうのだ。
マキシマムは固有であるからマキシマムであって一律では意味がない。国に地方創生経費として交付税の算定に取り込まれ視察殺到で関係人口増加やった!と喜んでいる暇つぶしをしている時間は不幸である。彼らがなにをもたらすのか否何もなくむしろオーバー関係人口で。 

人の口👄に戸は立てられない

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