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YouTube の謎

最近家にいる時間が多いからか、色んなYouTubeを見てみている。YouTubeの面白いところは、家で撮影していることが多いからか、内容がそうだからか分からないが、YouTuberの私的な領域と公に公開している領域が重なっているところだなぁと思っている。

でも、どうしても不思議なことがある。YouTuberは生活の中に第3者の目が入ってきても、苦しくはないのだろうか…と。もちろんチャンネルにも色んなタイプはあると思うのだけども。

例えば、彼女へのお誕生日サプライズというタイトルで、プレゼントをあげたり、手紙を読んだりというところまで動画で公開しているものがあるけれど

私だったら、段々と、彼女のために選んだのか、第3者(視聴者)を意識して選んだのか分からなくなってきて頭がぐちゃぐちゃになりそうだなと思う。

食べるものも、旅行のプランも…

自分の意思によるものなのか、社会から求められる何かへの応答としてのものなのか…

なんだかぐちゃぐちゃになってきてしまう気がする。

もしかしたら、社会(視聴者)が求める色んな何かに応答していく中で新しい自分の好きなものに出会ったり、いつも言えないことを誰かに言えるのかもしれない。

そもそも、私たちは何かを選択したり、考えたりする時には、心の中にいる内なる「他者」の声の影響も受けているわけで、自分の意思とかそうじゃないとかきっぱり分けられるものでもないのかもしれない。

YouTubeだけではなくて、インフルエンサーという言葉も生まれた、今の情報社会、色んな場面で当てはまることで、そんなこと言ってられないのかもしれない。

でも、でもやっぱり

私は、プレゼントはその人が喜ぶかな?ということを中心に考えたいし、目の前にいるその人への応答として、話したいし行動したい。

一体どうやって気持ちの整理をつけているのだろう…。

いけない、内的な追及になってきてしまった…

なんだか分からなくなってきたけれど、この不思議はもう少し長期的に考えてみたいものなので、ここにメモしておこうっと。

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