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あがり症と向き合うことを決意した話

先日、あがり症になったきっかけについて記事を書きました。
本日はそのあがり症と向き合うことを決意した話。
宜しければこちらの記事も併せてお読みくださいませ!

師匠との出会い

あがり症を発症し、人前で思うような演奏ができなくなった私。
でも高校3年生に進学するタイミングだったということもあり、進路について決めなくては。

当時は中学の頃にたまに指導してくださっていたフルート講師に師事し、志望校についても相談します。
そして夏休み中、志望校の夏期講習会に参加することに。

当時の講師はその音大の卒業生ではなく教員の紹介も特になし。
夏期講習中にあるレッスンで希望の教員がいれば希望を出すことができるのですが、私は希望は特に出さずに講習に参加します。

そこで出会ったのが現在の師匠。
まさに運命の出会いというやつです。

私はあがり症ではありましたがレッスンは緊張しながらも割と普段通りに演奏することができ、門下生として受け入れてくださることになります。

そこから練習を重ね、音大受験。
実技試験もやはり思うような演奏はできません。
審査員の先生方がズラッと並んでいる前で演奏する、ということも緊張の要因ではありますが、
3人1グループになって試験会場に通され、1人ずつ演奏する、というのが「他の子より上手く演奏しなくては」という競争心を生んでいたのだと思います。
おまけに名前の順で私はトップバッター。
かなり大きなプレッシャーを感じながらの受験でした。

実技が終わった後も全然上手く演奏できなかったことを思い出しては自分を責めるばかり。
師匠も気にかけてくださったのに、友達もできたのに、両親の支えもあったのに…
受験は絶対落ちてる。
きっと浪人だ。
両親は、家族はどんな顔をするだろう。

そんなネガティブ感情がずっとループしている状態で時は過ぎ、ついに合否発表の日。
無事、合格できていることがわかりました。
もう絶対ダメだと思ってた…!

音大への進学と現実

晴れて音大生となり、大学に通い始めます。
引き続き師匠の門下生となりレッスンを受ける日々。
自分で言うのも何ですが、私はいわゆるお気に入りというやつで、
師匠からの評価は高かったと思います。
何かと同期に「あぜみが言えば大丈夫!あぜみは怒られない!」とか言われてたり。
いや、私だって練習しないでレッスン受けりゃ怒られるけどね?笑

音大卒業後は大学院に行きなさい。
ヨーロッパへ留学しなさい。
コンクールを受けなさい。
受験前からこのようなことを結構言われており、期待されることがどんどん重荷になっていく。

そして音大入学後最初の実技試験。
あがり症の症状が良くなるはずもなく、しかも大学4年間ずっとトップバッター。
ダメダメの演奏。
自分の順番が終わった後、試験の休憩に入ったタイミングで「あぜみはどこだ!?」と師匠にめっちゃ探されましたが、
とても顔を合わせられる精神状態ではなく練習室に閉じこもって身を潜め、
同期に「あぜみは帰ったって言って!」とお願いしたり。笑
先生、ほんとごめんなさい。

実技の試験から数日後に成績が発表されます。
掲示されるのではなく個人に結果が配布される形なのですが(おそらく評価はS、A、B、C、それ以下もあるのかは不明)、
周りから「評価Aだった!みんなAなんじゃない?」という声が聞こえてきます。

私、評価Bなんですけど…

少し脱線しますが音大(というか芸術系全般)は大体どこも心霊現象があるとか、
自殺の名所があるとか、そういう都市伝説があります。
どこまで本当かはわからないけど。
うちの大学もまあ色々あって、
「この曲を練習していた生徒が納得のいく演奏ができず、嫌になって窓から飛び降りたことがある。
だから学校内でしばらくこの曲を練習することは禁止になった。
この立ち入り禁止ゾーンが事故現場」っていう話もあったりするんですね。
実際変な場所に三角コーンが立ってて立ち入らないようにしてあったりもするんですが…
「音大=お嬢様、優雅」というイメージを持っている方にはあまり想像つかないかもしれませんが、練習って、めちゃくちゃ病むんです。
同期と接するときは明るく振る舞っていましたが、当時は人前で上手く演奏できないこと、練習してもしても理想に到達できないこと、
非常に病んでました。
電車で通学していて川の上を通るポイントがある。
そこから飛び降りることができたらどんなに良いか…
今では絶対にそんなことは考えません。
でも、当時の精神状態はボロボロでした。

演奏を続けることを決意した日

そこから1年、2年と学生生活は続くも人前での演奏は一向に良くなる気配なし。
3年に上がって少しずつ進路について考えるようになります。

どうしても人前で演奏することができない。
でもフルートに関する仕事には就いていたい。
演奏の道は諦めて、リペアマン(修理士)になろうかな。

授業の中でフルート工房の方がいらっしゃったことがあり、授業が終わった後に「リペアの仕事に興味があるんですけど」と声をかけ、
もし興味があるのなら連絡してね、と名刺をいただきます。

帰宅し、連絡してみようか、どうしようか。
一先ずレッスンのために練習しよう。
まずは基礎練習から。

いつものように楽器を組み立てる。
吹き始める。

あれ?
自然と涙が出てきて止まらない…

私が本当にやりたいこと。
それはリペアではない。
私はフルートを演奏したいんだ…!
その時、そう悟りました。

大学院への進学、海外への留学。
できることならどちらも経験したかった。
そのためにはとにかくお金が必要。
でも、ただでさえ高額な音大の学費を4年間払ってもらっている両親に頼るわけにはいかない…

ちょうどその頃、大学に別科という新しい学科ができました。
その学科は週1回のレッスンと土曜日の午前中だけ学科の授業がある、働きながらでも通える社会人向けの1年制学科。
1年制で授業が少ないということもあり通常の音大の学費と比べるとかなり安い。
そして毎週必ずレッスンを受けることができるし学校の練習室も使える。

私は別科の学費を自分で工面し、別科に進学することを決意します。

レッスンの際、別科への進学希望を師匠に伝えます。
すると
「君の音を初めて聴いた時からこの子は良い笛吹きになると思っていた」
と仰ってくださいました。
師匠の前では思わず泣きそうになるのをグッと堪えましたが、その言葉を思い出すと未だに涙が出てきます。
私は師匠のこの言葉を一生忘れません。

自分を貫き通すということ

フルートを続けるということ、進学を決意した大学3年の春。
ここから私は別科の学費を稼ぐことと楽器の練習の両立を目指します。

大学は朝6時に校門が開くのですが、始発の電車に乗って朝イチで登校し、
練習室を確保。
ちなみに当時は練習室の使用に予約などは必要なく、早い者勝ち状態でした。
授業が入っていない日は朝6時〜13時頃まで個人練習、その後20時までカフェでバイト。
これを毎日、別科在学中も含めると3年間続けました。

この生活は周りから見ても異常で、「練習しすぎでは?」と言われたり馬鹿にされることもありました。
でもめげなかった。
そしてこの頑張りは師匠も知ってくださっていたのが嬉しかった。

こう決意したからといってあがり症の改善には全く繋がりません。
実技の成績は相変わらずで、成績順で選抜されるオーケストラや吹奏楽には一度も乗ったことがありません。
あがり症のことを知らない同期からは「あぜみん、こんなに吹けるのになんでオケ乗ってないの?」と言われたりも。

また、師匠から「選抜とかはないから、希望すれば受講できるものだから室内楽の授業を受けなさい」と言われ、
いざ受講を希望すると希望者多数により受講することもできず。
これは師匠も想定外だったようでなんと声をかけたら良いかわからなそうな感じでしたが励ましてくださいました。

流石にこの時は心が折れるかと思った。
みんな同じだけの高い学費を払っているのに、成績上位者のみがたくさんの機会を与えられる。
勉強したいと望んでいる学生であっても結果が出なければその機会さえ与えてもらえない。
「努力は報われる」という言葉は信じない。
世の中は不公平なのだ。
そう思った瞬間でもあります。

でもそこでもめげずに戦った。
その甲斐あってか大学4年の頃にはレストランでのBGM演奏、個人レッスンの指導、挙式演奏の仕事を獲得します。

そして別科の学費を貯めて受験も無事合格、計5年間の音大生活へと繋がるのでした。

ここまでの話では全くあがり症の改善には至っていません。
が、自分の本当にやりたいこと、信念を貫き曲げないこと。
周りに何を言われても流されないこと。
自分を持つことによってあがり症と向き合うことができたと思っています。
学生の頃は書ききれないくらい本当に色々あって、卑屈になってしまうこと、
死にたくなる程苦しかったこともある。

でもフルートを吹くということが私を支えている。
フルートを吹くことによって、私は生きているんだ。


ここまでお読みくださりありがとうございました!
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