書くことに呪われている
文学フリマ東京で頒布した日記のあとがきに書いたような気もするが書くことに呪われている。無意識に書いた文章に現実の生活を合わせていく、みたいなことをやっていて怖い。神託生活、
例えば五年前に書いたこのファンタジー? SF? は現行のシステムなり価値観が否定されたあとの世界を書きたくて作った話なのだが、新自由主義的な価値観に嫌気がさしてこの次に来るものを求めるうちに、社会主義的な管理システムと都市的な精神構造が同居する世界を作った。
結局いま、西欧を中心とする経済学の流れを独学する中で、『社会的共通資本』という計画経済と資本の再分配を目指す、みたいな本を読んでいる。計画経済に近い考え方を実行するうえで官僚主義を否定する、と書かれていた冒頭の感想に、「正気か?」みたいな感想を呟きつつ読んでいる。
農業と林業は土地面積に生産を規定されるから新古典派経済学が前提とする自由な経済活動のもとではふつうに生活が破綻するような極端な低生産状態になりうるとおもうんだよな。怖くないか? 自由経済を追求した結果作物が足りない状況。
ということはずっと昔から考えていて、じゃあどうするのがいいのかはよくわからないんだよね。人間の選択って結構非合理だしねぇ。
考えていることを創作として残すのは怖いなぁと思う。結局なんか、そのまわりをぐるぐる回っていることに気がつくから。
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