精神の破壊と再生をエンターテイメントとして昇華するということ。②

 でもわたしはプライベートな歌が好きだ。「わたしはこのようにあなたをあいする」とか「あなたはこのようにわたしをきずつける」と言う風な歌ではなくて。

ぼくは誰?なんてタブーを考えるときぼくは自分を殺してみる
<Radwimps/へっくしゅん>

 みたいな曲が好きだし、本を書く、というのを自己対話みたいに捉えている人のことが好きだ。「わたしはこのようにあなたを裁く、あなたをとらえる、あなたを」二人称を主語にした語り口よりも書き手が自らを話相手にして語り掛けるような文章が好きだ。セルフィッシュとか、自意識、とか呼ばれてしまいがちな傾向かもしれない。でもほんとうのセルフィッシュとは二人称と一人称を混同してしまう傾向のことを言うのだし、やっかいな自意識、というのはたいてい第三者にエネルギーが向けられている。自分のことも知らない人が他人のことをなに語れるだろうか。そういうわけで私は自分自身の精神にメスを入れ続ける人たちのことを愛しているし、尊敬してやまない。私もそうありたいと思う。

2016年ビルボードチャートの総合100に入った曲の中で、例えば

 Fifth HarmonyのWork from Homeなんかはセックスの歌だ。アメリカのPOPチャートは性的サブリミナルをこれでもかと盛り込んだ曲がおおい。カナダのアーティストのMVはポリティカルコレクトレス色が強くて小さなお子さんでも見られます、と言った感じ。

 RihannaのWorkもWorkはセックスの隠喩として、というかもはやダイレクトな直喩として使われている。


 そんな中2015年に発表されたアルバム、BlurryFaceからRIDE

 タイラージョセフが乗りこなす必要を感じているのは、彼自身のメンタルの波で、MVで実際に乗っているのも三輪車だ。異性とかキャデラックとかではない。

 Siaのシャンデリアと少し似ている。Siaも自身とアルコールの問題を曲の中で描いた。タイラーがブラーリィフェイス『Deny』の中で描いている「My friends and I, we’ve got a lot of problems」のLot ofのひとつがアルコール依存症の親とその子供たちのことをさすのではないか、と去年発表されたMy Bloodを見て思った。

 ブラーリィフェイスの中の世界。世界は狭く子供部屋に閉じこもっていた郷愁、地面は穴だらけで舗装されていない。タイラーは怒鳴る「政府は一体なにをやってるんだ」そして問題だらけのぼくら。ぼくらを切り裂き否定する声。立ち向かわなきゃ。でもそれは今日じゃなくて。

 名声に押しつぶされること。内なる声に押しつぶされそうになること。似ているけど違うかたちの暴力を、私は作品を通して眺めているつもりでいる。嵐のように押し寄せる声。死へ希望を見出すこと。体をはじけさせるような衝動。それらの舵をとり乗りこなすこと。

 英雄は物語の中で何度も死ぬ。この上なく残酷な物語を私は常に求めている。

 

 

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