ごーどんとチェス

2024/5/12、装い喫茶同好会(コンセプトカフェの出店)の五月祭準備のため久々に駒場の学生会館へと足を運んだら、偶然東大チェスサークルの面々に遭遇した。
会費が同校の将棋部と比べて1000円と安いのもあり、なんとなく入会することにした。
そんなこともあり、チェスに関しての回顧を少しだけしたくなった。
きっかけは中高の将棋部の隣の部室がチェス部であったことである。
ただそれだけであった。
それよりも内容の話のほうが重要なのでそっちのほうに早いこと移行する。
はじめて知ったオープニングはフレンチだった。
(e4 e6のアレ)
たしか当時の先輩から教えていただいたと記憶している。
chess.comで何百回か経験を積むと、エクスチェンジがガチでクソゲーじゃないかということに気づき始めた。
(e4 e6 d4 d5 edのアレ)
そしてしばらくするとアドバンスドもクソゲーなんじゃないかということに気づいた。
(e4 e6 d4 d5 e5のアレ)
それと同時期に当時の部長(同期)によくさされていたAlekhineとかも試してみたが暗記ゲーの側面が強く、イマイチしっくりこなかった。
(e4 Nf6から始まるアレ)
しかし次第に慣れてレートが上がっていくうちに相手もフレンチでもちゃんとタラッシュを指してくるような人が多くなったような記憶がある。
(e4 e6 d4 d5 Nd2のアレ)
何を思ったかというと、レート帯が高くなればなるほど、クソゲーになるような変化がどうしてクソゲーなのかの理解が進んでいき、勝手に面白いゲームを作り上げるようになるんじゃないかということである。
経験により、やってはいけないことの枝が切られていき、頭のなかで整理されるのだろう。
明らかなクソゲーやダメな変化を感覚的に避けられるようになってくると、今度はクソゲーっぽいがクソゲーではない変化(序盤でクイーン交換した後にエンドゲーム力が試される類のラインたち)やカロカンのVan der Wierとかの乱戦への楽しみが生まれてくる。
個人的に乱戦の醍醐味は、いつでもエンドゲームに突入する変化が伏線に隠れていることだと思っていて、そのエンドゲームも駒の配置の微差や多くの知識に面白さを感じている。(小島さんの影響がつよいのかも)
しばらくしてポジショナルプレーに関してだとか、ストラテジカルなプレーに関してなどの知識が増えていくと、だんだんと自分の中で比較する要素が多くなっていった。その中で、微差の比較のために、だんだん長考するようになっていったような気がした。
将棋に駒の位置の考えを逆輸入できるぐらいに理解した頃には、そのへんのアマチュアならわりと簡単にボコれるようになり、小さい頃、指導将棋で簡単にアマチュアが負ける理由がわかったような気がした。
そのようなことを考えながら過ごしてきたのが浪人前ぐらいまでのことで、この5年ほどチェスには全く触れずにいた。
が、実は自分の中での課題は明解で、読む力とエンドゲームの知識をミドルゲームに活かすことである。
逆にそれさえできればまた一段階レートの壁を破壊できるんだろうなぁ
(2400ぐらいまで)
みたいなことは考えているが、面倒なので何もせずに生きている。
追記:物事の成長って基本的には連続函数というよりは階段状にきますよね。10分ぐらいでテキトーに書いたので特になんの意味もありません。


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