あわ

「…はい、もう起きていいですよ。」

その言葉で、男はふと意識を取り戻した。
生まれて初めての爽快な目覚めだった。脳の中から、自分を苦しめていた異物が取り除かれたような感覚だった。

まぶたを開けずとも、自分が真っ白な診療室のベッドに横たえられていることがわかっていた。
そしてまぶたを開ければ、あの聡明な女医の美しい顔が自分を覗き込んでいることも、男にはわかっていた。

「意識はしっかりしているようね」
女医はペンライトで男の目を照らしたり、脈を取ったりといった簡単な検査を経て、そう結論付けた。

「自分の状況を説明できる?」

小型のコーヒーマシンを操作しながら、女医が男に問う。
ここが病院であること。
自分は女医の治療を受けたこと。
その治療中にどうやら眠ってしまっていたらしいこと。
一通り思い出せることに安堵を覚えながら、男はぽつりぽつりと語ってみせた。
手には女医に差し出されたカプチーノ。小ぶりのカップを両手で覆うように持ち、語りの合間に啜る様を、女医は注意深く眺めていた。

「ありがとう。説明はもういいわ。ところで、それ、お口にあったかしら?」

唐突に聞かれる味の感想。
特段コーヒー通というわけでもないので細かな味の違いなど論評できないが、美味いと思ったので、男は素直にそう伝えた。

「カプチーノ、飲むのは初めてでしょう?」

言われるまで気にも留めていなかったが、言われてみればその通りで、今まで自分がカプチーノを忌避していたことに男は思い当たった。
だが、なぜだったろうか。

「悪いけど、カップは自分で洗ってくれる?スポンジと洗剤は置いてあるから、使ってね。」

促されるままに診察室の奥の給湯室に行き、言われるがままにスポンジと洗剤を手に取った。慣れない道具に少し手間取ったが、カップは間違いなく綺麗になった。
一部始終見ていた女医が、勝ち誇ったような顔で語り出した。

「完璧に克服してるわね、良かった。これからはカプチーノもビールもシャンパンも飲めるでしょう。あなたの病気を××れんでいたご家族に早く××せたいわね。きっと××食って驚くわ。」

そうだ、自分は何かを克服するために女医の治療を受けたのだ。なのにそれが何かわからない。自分を苦しめていた何かが確かに消え失せたのは確かではあるのだが。

「気にしなくていいのよ。あなたの恐怖症を治すために、あなたの脳からある概念を消したの。これでもう苦しまずに済む。」

概念が?消えた?なんのことかわからない。女医の言葉がところどころ聞き取れないことに、言い知れぬ不安感を覚えて全身が××立つ。

自分に何が起こったのか。男は繰り返し尋ねたが、女医はこうとしか答えなかった。

「もう取り戻せないのよ。弾けてしまったからね。」

#ナカヨシ #テーマ縛り #あわ #セリフで始まりセリフで終わる