ならない小説

なろう小説。最近流行っていると聞く一大ジャンルである。ところが、友人に話したら、なろう小説は正しくはジャンルではなく、小説家になろうというサイト、及びその作品群を指すのであって、断じて潮流めいてはいないと指弾された。何でも、二次創作小説は別レーベルだとか、有名作品は書籍化されたり、他の出版社に引き抜かれて原稿が消滅したり、ということが起こるらしい。

書籍化はちょっと羨ましいな、とは思うが、書籍化された作品を一読して、ああこれはだめだ腹壊しそう、となってしまった。絵はきれいで可愛い(かっこよいではなく、主としてヒロインの絵面が可愛い)ので、ライトノベル感覚で読み進めるのだが、立ち読みしていて気分が悪くなった。この作品を読んで沸き起こる感情は何だろうかと自問自答し、本を買って精読し、適切かつ温厚な指摘を加えるのが批評家の在り方だと私は考えるが、なろう小説の存在はそんな私の精神的余裕を木っ端微塵に粉砕し、トラックもしくはワゴン車で轢き殺し、不毛な異世界へと転生させて、禍々しい私憤へと駆り立てる。大抵は立ち読みで済ませてしまえる気がしてならない。

しかし、大学時代の後輩らには、なろう小説が好きだったり、擁護したりする声も多い。一説には、どん詰まりの日本社会に絶望した若者が、異世界で活躍する主人公に自己を投射し陶酔するのがなろう小説らしい。事実、後輩の何人かは社会で貧困と過重労働に喘ぎ、社会への接点も抵抗も欠いたまま、暗然たる日々を過ごしていた。その行き場のない魂が、なろう小説で満たされている可能性はある。

だが、それが全てだとは思わない。彼ら、彼女らは、なろう小説とは別に、魂を捧ぐ古典を愛読していた。なろう小説が基底には成り得ていないのである。その点、私は少し安心している。例えば後輩の一人は、なろう小説のヒロインが可愛いと言いつつも、銀河英雄伝説の熱烈なファンであり続けていた。

ただ、私も、些かなろう小説を叩き過ぎたと反省している。中には掛け値なしの名作や、奇抜な発想の秀作もあるだろう。また、異世界に転生するネタは、私も大学時代まで必死に書き留めていた。時代と機会が適合すれば、私も小説家になろうに投稿していたかも知れない。

いっそ、ならない小説とか書いたら面白いかも知れない。何一つ思い通りにならない世界で、何者にもならない人間たちが足掻く群雄伝。そんな物語を描くことができたならば、私はその時こそ、この潮流に対する私憤を吐き出すことができるだろう。



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