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ざわつくのは自分の胸の中だけ

昨日は、良いことと悪いことが1日の中で一気に起こり、その振り幅に自分の感情処理が追いつけず、めずらしくかなりイラついてしまっていた。

大抵のことはそこまで感情が揺さぶられることはないのだけど、アンコントローラブルなところで、やりきれていない状態を見ると、異常にストレスを感じてしまう。

それがいくつか重なり、割ときつかった。

でも、夜には予約の取れない館山市の超人気サウナ「Sea Sauna Shack」に行って、それまでの胸のざわつきのすべてを、ここのサウナの水風呂がすべて流してくれた。

母なる胎内のように、全身をやさしくやわらかく包んでくれる地下水の水風呂に、なぜか涙が出るほど感動を覚えた。

静かに寄せては返す波の音をききながら過ごせる外気浴スペースで、見上げた空にはうっすら雲のかかった月が。

あまりにも美しく、あまりにも自分のちっぽけさを感じさせる、大自然と宇宙が作った場所だった。

こんな感動は、本当に久しぶりで、さっきまでイライラし続けていた僕自身が恥ずかしくなるほど。何を僕は人にイラついていたのだろう。めちゃくちゃ反省した。


池に石を投げるという「事実」と、広がる波紋の「感情」

外気浴スペースで休みながら、ふと僕はこんな言葉を思い出した。

「池に石を投げられた」というのは“客観的な事実”だけど、「広がる波紋」は池側の話。
何か外的事象が起きて、自分の中の感情が揺さぶられたりアンバランスになるのは、この波紋と同じで、自分の中だけの問題なのだ。

これを話していたのは、サウナに人生を奪われた人展で取材をさせていただいた、サウナホリックさんだ。

起こった事実は事実として捉え、それを受けて自分の中に波紋が広がるように感情が動くかもしれないけど、それは自分でコントロールできる範疇。だからサウナに入って、その感情の揺れを正常なところに戻す、という話だった。(確かこんな風なことだったと思う、違ったらごめんなさい)

この話を聞いた時、僕はすごく納得していたけど、昨日のSea Sauna Shackで完全に体で理解した。

どんな事象が起きようとも、それは事実として切り離して考え、揺れる感情を認識しながら、この水風呂のようにその感情を包み込む。そんなことができる男になりたいと思った。

もちろん、物理的に水風呂に包んでもらうのはもちろん、僕自身の器としてそういう男でありたいな、と強く思った。


まだまだ自分は未熟で弱すぎる。もっともっと強くなって、もっとやさしくなるんだ…!頑張る。

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