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「#献血には行こう」漫画・アニメと広告の『性的表現』

日本赤十字社と漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』のコラボキャンペーンポスターに関して、様々な声が上がっている。本当に、様々な。私自身、この話題に関してモヤモヤとする事が多く、思い切ってはじめてnoteを使う事にした。「漫画やアニメと広告の『性的表現』に関して。」これから書くことは、あくまで広告業の端くれにいる漫画やアニメ好きの一意見に過ぎません。色々な事例をあげていたら、約7500文字にりました。長いです。色々書いていますが、結論は

#献血には行こう

です。

まず、今回このポスターが話題になったきっかけのツイートはこちら。

日本の様々なカルチャーや話題を英語で発信している『Unseen Japan』のアカウントのツイートだ。このツイートをした米国人男性のジェイ・アレンさんへのインタビューを「文春オンライン」が行っている。今回の件に関してジェイ・アレンさんが丁寧に解答して下さっているので、ぜひご一読を。

この記事でジェイ・アレンさんも触れている通り、この件の問題は“公の場で女性を過度に性的に描写することは、「女性はこのように扱われるべきものだ」というメッセージを発してしまう”という点にある。また、上記記事で触れられている「岐阜県美濃加茂市の観光協会による『のうりん』とのコラボポスター」に関しても、思い出してみよう。

このポスターが話題になっていたのは2015年11月。3年前にもあった似たような事例だが、こちらは市の観光協会によってつくられたスタンプラリーキャンペーンポスターが話題になった。しかし、この記事にはこの一文も添えられている。

『2014年に行われた献血キャンペーンのポスターには、スタンプラリーと同様のイラストが使用されています。』(以下画像)

日本赤十字社がこのようなイラストを使うのは、『宇崎ちゃんは遊びたい!』がはじめての事ではないらしい。岐阜県美濃加茂市の観光協会も「日本赤十字が使ってるイラストなら大丈夫だろう」という気持ちもあったのかもしれない。

これらのことは2014年から、いやもしかするとそれよりももっと前から始まっていたのだ。だが、あまり指摘をされずにいた。私自身、違和感を感じつつ、指摘をしてこなかった。だがしかし、近年思うことがある。「最近、一線を過ぎたものが多くなっきた」と。一度一線を越えると、どんどんエスカレートしていく。そして既にエスカレートしつつあるのが、今なのではないだろうか。ではその「一線」とは、どこなのか。そしてまた、今回もこのような例を流してしまうと、また同じ事を繰り返してしまうのではないだろうか。広告業の端くれにいる漫画やアニメ好きなりに、考えてみた。


前置きが長くなりましたが、ここまでが話題のおさらいで、ここからが筆者の考えです。私の考える事は3つ。

① 『宇崎ちゃんは遊びたい!』等の作品に罪は無い

② 『性的表現』を含む広告は女性軽視であると認識するべき

③ 献血には行こう

です。以下、様々な例を出しつつ上記の考えに至った経緯をまとめます。

そのまえにひとつ。こういった話題の中で「では何が悪いのか?」という議論になりがちですが、私は問題は多層的だと考えているため「白黒はっきり」するような書き方はされていません。あらかじめご了承ください。


① 『宇崎ちゃんは遊びたい!』等の作品に罪は無い

まずはじめに、私は『宇崎ちゃんは遊びたい!』を読んだ事はありません。ですが断言できるのは、今回の件において『宇崎ちゃん』は完全なる被害者だと思っています。日本赤十字社のポスターに使われてしまったがために批判されてしまった『宇崎ちゃん』。可哀想に…。例えるなら水着の女性モデルが日本赤十字社のポスターに使われて、水着の女性モデルが批判されてしまっているような感覚。女性モデルも仕事だろうに、公共広告ポスターにセクシーな姿で登場してしまったがために批判されている……まぁ、流石に水着の女性モデルを公共広告ポスターで使う事は無いと思うのですが(無い…ですよね?)、そんな感覚で私は『宇崎ちゃん』を見ています。『宇崎ちゃん』には『宇崎ちゃん』としての役割がある。

一方で、『宇崎ちゃん』や『のうりん』のイラストを見て拒否反応を示す人もいます。私の場合、漫画やアニメ好きとして目が慣れてしまっているので『宇崎ちゃん』のイラスト自体に拒否反応はありませんが、『のうりん』のポスターのイラストは少々拒否反応が起こりました。この拒否反応は「性的表現感」によって生まれるものだと思います。赤らんだ頬とハの字眉の表情、ぴちぴちのシャツに、セクシーなボディとポージング。『のうりん』のポスターの場合、露出もあるのでより「性的表現感」が高い。これらのイラストに対し「性的な意図は無い」という意見が出ても、それを「そうですね」と言えるのはおそらく「かなり目が鍛えられた方々」ではないでしょうか。

では「エロ漫画が悪いのか?」「セクシーなキャラクターが悪いのか?」「漫画やアニメが悪いのか?」Twitterではたくさんの意見が出回っていますが、極端な方向に話題が飛んでいる気がすることも少なくないと感じました。エロ漫画自体は悪ではないし、セクシーなキャラクターも悪ではない。それらには、それぞれの役割がある。もちろん漫画やアニメが悪でもない。むしろ、漫画やアニメだからなんとなく良しとされて公共広告にされていますが、おそらく実写では再現しないのではないでしょうか。“赤らんだ頬とハの字眉の表情、ぴちぴちのシャツに、セクシーなボディとポージングで胸をはだけさせている女性モデル”の公共広告…流石に無いですよね。なぜ無いのか。それは完全に「性的表現」を越えて「ポルノ」だからと、流石にわかるからではないでしょうか。

女性が日頃「ポルノ」に対してどのように感じているかは人により異なると思いますが、拒否反応を示す人もいます。コンビニの雑誌コーナーから成人向け雑誌が販売中止になったことも、記憶に新しい。

“女性や子供を含む「すべてのお客様が利用しやすい環境づくりのため」”という決定理由とされているものの、であれば随分と長い間、コンビニの雑誌コーナーの端っこは女性や子供にとって「近寄ってはならないエリア」だった。見えていても、見えていないふりをするエリア。個人的な意見を言えば、少し怖いエリア。各コンビ二は「すべてのお客様が〜」としているが、結局のところ本来の理由は“ラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、多くの外国人観光客の訪問が見込まれている。”からであろう。女性や子供も利用者するコンビニで成人向雑誌が売られていることに、外国人観光客から批判の声があるのでは?という「海外からの目」を気にして行われた対策ではないかと思われる。以下の記事にあるように、“日本はポルノ雑誌を公共の店で販売することを許可している唯一の先進国”とのことだ。

まぁ、欧州なんかは結構ポルノっぽい雑誌も見かけるけどね…なんて事を言い始めると重箱の隅をつつくようなので置いておくとして。ともかくこのような対策がされる事はありがたい。グローバル化、ありがとう。では、コンビニからポルノ雑誌が無くなったことで、日本は何か変わったのだろうか。いや、今回のポスターに関する騒動のあれこれを見るに、そんなにはすぐに変わらないよなぁという印象。ちなみにポルノ雑誌も、また悪ではない。ポルノ雑誌には、ポルノ雑誌の役割がある。でもやはり、コンビニという公の場にどどんと置かれているのには、抵抗を感じる。


さて、話は逸れるがここからは個人的な話になる。私がコンビニの雑誌コーナーに若干の恐怖心を抱いていたのは、これまでの自身の経験が関与していると言わざるを得ない。小学校のころから学校から「変質者が出たので注意して下さい」という注意喚起が飛び交い、実際に私も「お前の裸を録画した」という電話を受けたり、電車に乗れば痴漢の被害にあったりした。今思えば小学生の頃から私はすっかり性被害にあっていたが、それを両親やまわりの大人や友人に話をした事は無かった。今、はじめて文章にした。当時はただただ、恐怖心だけが募った。故に、見かけるポルノ雑誌も恐怖の対象だった。女性は消費されているのだと感じた。子どもだったので「男性」全体に苦手意識を持つようになった。私と同じような経験のある女性は、少なくないのではないかと思う。

しかし私の場合、漫画やアニメが好きだったこともあり生活において現実の「男性」への苦手意識はあまり問題にならなかった。2次元のキャラクター達は、私にとって救いだった。可愛い女の子も、カッコいい男の子も、自分に「被害」を与える事はなく、寝ても覚めても彼等に夢中だった。しかし一方で、漫画やアニメは『性的表現』と非常に親和性の高い一面もあった。私が幼稚園のころ夢中になって見ていた「某美少女戦士」も、見る人によっては、という話もあるし、小学生の頃の私のアイドル「某ドラまたの美少女天才魔道士」の作品も、劇場版にはセクシーなキャラクターが登場していて、それはそれとして見ていたけれど映画館にいた小学生女子は私ぐらいだった。インターネットで画像検索をすれば、18禁同人作品が検索に引っかかることもしばしば。とはいえ私自身BLを読むようになったりなんだりもして、私の目や感覚はだんだんと鍛えられていき『漫画やアニメにおける性的表現』に関して「まぁ、それはそれ」と思うようになっていった。

今現在、自分がそこそこの大人になって感じるのは、年々オタク文化が日本において「一般的」になっていくことへの喜ばしさと、「漫画やアニメにおける『性的表現』までもが公の場に出る事が一般的になりつつある」ことへの違和感だ。

私が「まぁ、それはそれ」としていた『漫画やアニメにおける性的表現』は、私が幼い頃に味わった「恐怖心」と同様に、現代の少女達から見て「恐怖心」を示す対象になってはいないだろうか?繰り返すが、ポルノ自体は悪ではないし、セクシーなキャラクターも悪ではないし、アニメや漫画が悪ではない。しかし今回の件について、私は私への自戒も含めて、オタクとして、大人として、正しい判断ができているのか、自分へ問いただしたいと思う。私は声をあげないことで、現代の少女達の加害者になってはいないか?そんなことを考えるうちに思い出したのは、去年話題になった秋葉原の学校の通学路に「幼女の全裸ポスター」が貼られていたことを問題視された件だ。この一件に感じたのは「流石にこれはアウト」という声はあがる、ということだ。

日本赤十字社のポスターは公共広告なので、小学生の目に触れる可能性もある。『宇崎ちゃん』の場合は服は着ているが、『性的表現』が全くないとはいえない。私はできる限り良識をわきまえたオタクでありたい…と、思う。出した結論は以下だ。

『宇崎ちゃんは遊びたい!』等の作品に罪は無い。しかし、公の場に貼られる公共広告のポスターには、今回のイラストはそぐわない。


② 『性的表現』を含む広告は女性軽視であると認識するべき

もう既に長いのでできるだけ簡潔にしたい…と思いつつ、ここからは広告について。広告を学び、広告をつくり、今ではドロップアウトしてしまって広告業の端っこにいる自分が、ここのところ感じているモヤモヤがある。それは、日本の広告は『性的表現』が多いのではないか、ということだ。

私が広告の『性的表現』が批判され話題になったものとして思い出すのは、2016年の「うなぎ少女」あたりである。

他にも2017年の無駄にセクシーにビールを飲むCMなども『性的表現』が露骨であった。広告においての『性的表現』は、これまでも全く無かったわけではないとは思う。しかし、これらはじわじわと「ここまではセーフ」「じゃあ次は」という具合に過激になって行き、それを世の中も受け入れたり、飲み込んできた結果「うなぎ少女」のような一線を越えた広告ができてしまったのではないか、と思う。

炎上広告に関しては様々な例があると思うが、今回は『性的表現』を含む広告に話題を絞る。炎上広告には「見る人によっては不快になる」ものと「明らかな差別が含まれる」ものがある。前述の「見る人によっては不快になる」広告に関しては、「なぜ不快に感じられたのか」という声に耳を傾けるべきだと思う。それをしない限り、延々と繰り返してしまうだろう。対して『性的表現』を含む広告は、『性的表現』を狙って作られているが故の「明らかな女性差別」をしているという事を、認識するべきだと思う。広告やCMは、どの年代も、性別も人種も関係なく見られる「公のもの」だ。公に『性的表現』を行うということで、それらは女性軽視に繋がっている。

記事の最初にも紹介した「文春オンライン」のジェイ・アレンさんのインタビューで語られていた“「女性はこのように扱われるべきものだ」というメッセージを発してしまう”とは、このようなことなのではないだろうか。「うなぎ少女」をはじめとする過度な『性的表現』の広告に批判が出た事で、露骨すぎる広告は減って来たようにも感じる。しかし、『漫画やアニメにおける性的表現』に関しては「漫画やアニメなので」という理由でか、現代においても流されがちだ。しかし、たとえそれがイラストであっても、写真であっても、公にされる『性的表現』は女性軽視に繋がっている。


と、こんなこんな風に「女性軽視」と繰り返すと、どうしても「男性 VS 女性」といった構図を描かれがちだ。一方的に女性が男性を批判している、と思われることもあるかもしれない。しかし女性軽視は、なにも男性のみが行っている事ではない。女性の中にも、女性軽視は芽生えると思う。自らの容姿や体型を自虐したり、「女性はこうあるべき」と語って他人にその考えを押しつけたり、「あの人は“典型的な女性”だから」といって他人を卑下したり、女性も女性軽視の加害者になりうる。なんて、お前はどうなんだととも言われるでしょう。そう、私も加害者にもなりうる。現に、『漫画やアニメにおける性的表現』を「それはそれ」として受け入れ今まで声をあげずにいた私は、誰かの加害者かもしれない。軽視は複雑だ。では、男性はどうだろう。男性も、男性軽視をすることはないだろうか。自らの容姿や体型を自虐したり、「男性はこうあるべき」と語って他人にその考えを押しつけたり、「あの人は“典型的な男性”だから」といって他人を卑下したりすることは無いだろうか。男性もまた、男性なりの大変さがあると思う。さらには多様な性もあるので、女性か男性かのどちらかだけで話をするのもナンセンスである。『性的表現』を含む『ステレオタイプな表現』は、なにも女性だけの問題でも、男性だけの問題でも、お互いが攻撃し合う問題でもない。『性的表現』を含む広告に、不快な思いをする男性もいらっしゃるだろう。「男性 VS 女性」といった構図で戦うのではなく、お互いに協力しあい『ステレオタイプな表現』と戦えないだろうか。男性だって泣いていいし、女性だって強くて良い。家事育児をする男性は素敵だし、女性はありのままで素敵だ。個性的な性や肌の色や人種や国籍は、それぞれに尊重されるべきだ。『性的表現』の被害者が男性だとすれば、もちろんそれも問題なのだ。誰もが加害者にも被害者にもなりうる。だからこそ、たくさんの声を聞き合い、少しでも「みんなにとっての良い方向」へ向かって行きたい。…と、私は思う。


どんどん話題がズレていないか?と思われるかもしれないが、この流れで先日「BUSINESS INSIDER」から公開されたこちらの記事をぜひ読んでみて頂きたい。

こちらの記事では、国際NGO「プラン・インターナショナル」の学生メンバーの調査発表についてまとめられている。記事の中で紹介されている「女子高生が不快感や違和感を感じた広告に含まれる5つの要素」の一つに“体の一部をズームアップするなど、女性を性的対象として描いている”があげられている。私達世代が築いてきてしまった『性的表現』や『ステレオタイプな表現』は今、若い世代にまでなすり付けられようとしている。そして若い世代は敏感にこれらの問題に反応し、抵抗しようとしている。これを、私達大人は邪魔してはならないのではないか。彼らは様々な事例から勉強をし、考え、記事のような調査報告に辿り着いた。私達大人も、様々な事例から勉強をし、考え、改善するための活動をするべきではないのか。今回の日本赤十字社と漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』のコラボキャンペーンポスターが、これらに関して考えるきっかけになれば、それはそれで意味のあることだと思う。

2019年1月、イギリスの広告基準協議会は「有害な」男女のステレオタイプ描く広告を禁止した。これは、個性的な性や肌の色や人種や国籍が、それぞれに尊重された広告を目指す、ということだと思う。日本にこのような流れがくることを願ってならない。


③ 献血には行こう

もういい加減長い。今度こそ簡潔に。これだけははっきり言える。

「献血」は悪くない。

慢性的に血が足りていない他、台風19号の影響などにより急を要してもいるそうです。献血の協力者は年々減少傾向にあるとのこと。なんて人ごとのように言っていますが、私自身、献血には言った事がありません。今回のポスターの話題で、マイナスイメージやボイコットなどに繋がってしまわないかと心配です。なので

献血には行きます。

最後に、もう一度私の意見です。

『宇崎ちゃんは遊びたい!』等の作品に罪は無い。しかし、公の場に貼られる公共広告のポスターには、今回のイラストはそぐわない。

日本赤十字社さんの今後のポスターには、今回の騒動について何かしらの反映がさせる事を切に願っています。


…以上、長くなりました。献血に行く、という新たな目標を決めた事で、モヤモヤしていた気持ちがすっきりしました。ここまでの長い長い声に耳を傾けて下った皆様、ありがとうございました。今回のような記事にも批判の声が上がるんだろうなぁ、などと想像しつつ、勇気を持って「公開決定」ボタンを押そうと思います。

最後になりますが、今回は前述のジェイ・アレンさんのツイートに乗っかった形で、色々と個人的意見を書かせて頂きました。今回、このような問題提起をして下さったことに、心より感謝申し上げます。

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