「恋愛」の価値観お披露目大会(参加者一名)


バイト先の同僚の高校生が、好きな人に告白して付き合うことができたらしい。まじめでたい。がちおめでとう。
付き合ってから沢山の嬉しかったことを話してくれるので、微笑ましい上、本当にめでたくてにこにこしてしまう。
そして彼は、私の恋愛事情に興味を示してくれる。

線路沿いさんは、恋愛どうなんですか?
えっ、あっ、そうですね……。

そうですね……

私の恋愛は大抵いつも片想いである。

モテる・好かれるための努力(見た目や魅せ方や積極性など)が不足していることが、その原因の大半を占めているのだと思うが、
恋愛観、というのか。私のそれが一般的なそれと少し違っているのも、原因の一つではあるのだと思う。


「恋人」ではなく、「家族」が欲しい。
現時点の自分の感覚を言葉にすると、そんな感じだ。


まず、なぜ「恋人」ではないのかをまとめていく。

①性欲こわい

フィクションや人の話から得た知識のうえでは、どうやら「恋人」は、性の対象となることが多いようだ。
付き合ったら手を繋ぎ、キスなりセックスなり性的接触を行う。「恋人」になったらその先には性的接触があるらしい。

性的にひかれる相手を恋人にしたいと思う人もいるのだろうなーと想像する。気持ちは理解しないでもない。

たぶん現代では、「恋愛」には「性欲」が含まれることが多いんだと思う。

でも私は今のところ、他人と性欲を共有する必要性を感じない。どころか、ちょっと嫌悪感がある。だから「恋人」は欲しくない。
負け惜しみではない。
性欲はちょっと、他人すぎて、怖い。

②唯一同士って大変

そして「恋人」どうしの関係は、維持管理をかなり密にしていないと、すぐ壊れる。(たぶん)
関係者が二人しかいないから、片方が放り出したら終わる脆弱さ。

これは別に恋人同士に限らないけれど、人と人の関係は、ある程度互いの要求を満たし合って成立するんだと思う。

でも特に「恋人」はお互いが唯一だから、役割分担もできなくて、相手の要求は自分一人で応えられなければならない。
逆もまた然り。相手に求めることはその人に満たしてもらうしかない。
だから、片方が無理な欲求を抱いちゃった時点で詰み、みたいなとこある。

かなり適性が無いと乗り越えられない。相性が合わないと全部終わる。そんな関係性なんだと思っている。

私は人に対してできることが少ないし、まず要求を汲み取るのも下手なので、この時点で唯一に選ばれるのには向いていない。

親友的なやつに選ばれないのも、同じ理由だと思っている。私は満たせないから。相手が満たされないから。

だから「恋人」が欲しいとは思えないし、「恋人」はできない、できても維持できないと思っている。

じゃあ一人でいいのか。
一人でいいと思うこともできる。
一人でいたいときがあるから。
でも私は、一人でいいわけじゃないってことも、何となくわかっている。

「家族」がほしい

ひとりが寂しいときがある。

たとえば一人で登校して知り合いの誰とも会わずにたった一時間だけ授業を受けて帰るとき。バイト先の社員さんと相性が悪すぎて空気悪くなって呼吸がしんどいとき。大人数の飲み会のノリにちょっと馴染めないとき。オシャレな雑貨屋に入ったはいいけど店のキラキラな空気に耐えきれないとき。

そういうとき私は、家族がいたらな、と思う。
学校に、バイト先に、飲み会に、オシャレな雑貨屋に、いまここに家族がいたらいいのに、と。

ようするに、他人の群れにほおり出されている瞬間に、心を預けることができる他人が、都合よくいて欲しい。
家以外の場所でも気張らずに済むような、少し楽しく安心できるような人が一人いてほしい。私を少し理解していてくれる人がいるという安心感がほしい。そして可能なら、私に少し理解させてほしい。

その相手は、同性でも異性でも構わない。
ずっと一緒にいなくていい。
相手の恋愛感情や性欲がこちらではない方へ向かってもいい。他に誰か特別な人がいても構わない。

ただ、相手を私にとっての特別にさせてほしい。私が特別に思っていることを公式が認めて欲しい。

この感情を特定の他人に対して抱くとき、私はそれを「恋愛感情」と呼んでいる。

多分、一般的な恋愛観とは違うと思う。
もっとシンプルに、自分を好きになって欲しいとか独占したいとか笑って欲しいとか幸せにしたいとか。
そのために努力するのが、恋愛なのだと思う。

それに比べて私のそれは、かなり自己中心的だ。
とにかく自分の感情を、認めてほしい。
唯一にはならなくてもいい(しないで欲しい)けど、私があなたを特別だと思っていることに許可がほしい。あなたに理解されていると思っていることに。あなたの事を人より少し理解することに。
許すことは愛だと思う。私はあなたの許可が欲しい。

あなたの要求は呑めないかもしれませんが、「恋人」ないし「家族」にしてください、という私の要求は、あまりにも烏滸がましい。
しかもちょっとキモくてちょっと重い。

そんな要求を受け入れてもらうのは、めちゃくちゃきれいな人や優れた人でも、可能性があまり高くない気がする。
だから、きれいでも優れてもいない私ならば、ほとんど無理だろう。

提案が受け入れられなければ、それはただのひねくれた恋愛観お披露目大会(参加者一名)になってしまう。あちらもこちらも面倒しかない。

そして振り出しに戻る

だから私は、相手の許可が欲しくなくなるまでじっと待つようにしている。
「恋愛感情」が無くなるのを待つ。

結果的に私の恋愛は大抵いつも片想いだ。
片想いで終わらせているから。
ちなみに今のところ、待っても待っても恋愛感情が無くならなかったケースには出会っていない。

でも、もし本気でこの提案を受け入れてもらおうとするならば、
相手の欲求をある程度満たすことができるだけの対応力を身につけるとか、提案を受け入れてくれる人に出会えるようにまず見た目や中身をきれいにするとか。
つまり、モテる・好かれるための努力をしていくのが良いのだろう。

結局私の「恋愛」を成就させるにも、通常の恋愛を成就させるための努力が有効なのだ。


……。
まぁまだいっか! 本気で自分の「恋愛」を成功させたくなったときに頑張れば。

努力するのが面倒で、深手を負うのが怖い私は、「恋愛」から目をそらす。

こうして、私はいつもと変わらない日々を過ごす。日々の生活に孤独を持て余して、大人数の集まりで帰りたくなって、洒落た雑貨屋からはそそくさと退店する日々を。

それだって悪くない。私には私がいて、一人の時間がかなり好きだから。


そうですね……、最近まぁ恋愛はいいかなって。
また必要に迫られたら、そのとき考えようと思います〜


そうへらへらと伝えると、彼は
「それ、必要になるとき来るんですか? 笑」
と言った。

必要になるときは、来るのだろうか。
孤独感と面倒くささとを天秤にかけ続け、いつか前者が勝るときが。

……待ってくれ。別に、来なくてもいいよな?

来なくてもいい

恋愛って選択科目であって必修ではない。
ただちょっと前にめっちゃ流行して、今もなんとなく推奨されている(子どもがふえるから?)けれど、実は全然通らなくても大丈夫なのではないのか。

恋愛経験や性行為の経験の有無で、人の価値を判断する人もいるけれど、生きていけるだけのコミュニケーション能力があるなら「恋愛」していなくても何も問題ない。人生経験を積むのは、何も「恋愛」でなくてもいいはずだ。

だから、恋愛が必要になることがこの先来なくても、そんなに困ることはない。
たまに出会う恋愛至上主義の人に心配という名目でちょっと見下されたり陰でこそこそ悪口言われたりすることと、あまりにも働きたくなくて主婦として雇ってくれる相手や頑張る理由になってくれる相手(通常の意味での家族)を探したくなったときいきなり頑張らなきゃいけないこと、くらいしか困らない。


あー……この後者の方、私の場合、かなりなりそうである。
別に恋愛は必修ではない。けれど、私の人生には、モテる・好かれるための努力、自分磨きをする必要は出てくるのかもしれない。将来設計とともに、要検討である。


そうですね……あまりにも働きたくなくなったら、恋愛とも真剣に向き合ってみようと思います。

説明が面倒だったので、これは言わなかった。

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