高校時代 自己肯定感が高くて良かった

高校に進学した。

地元から少し遠いせいか、同じ中学校からそこへ行ったのは自分の他に、幼馴染が一人だけ。
その幼馴染とも、別のクラスに振り分けられた。


するべきこと

入学後、するべきことは主に四つあった。

①クラスや部活で新しい仲間と仲良くする
②常に空気を読む
③勉強をする(毎日予習復習がある)
④部活をする(3学年合わせて約120名のクソデカ組織の一員として)


改めて見て、多すぎると思う。
特に②は不慣れであるし、他の三つも中学とは勝手が違う。毎日心身ともくたくたになるはずだ。

それぞれどのようにしていたかを書く。


①新しい仲間と仲良くする

クラス近くの席の人と話して過ごした。
自分は人見知りではない(と思っていた)ので全然どうにかなると思っていたが、少し見立てが甘かったようだ。
中学校と高校は、勉強のペースも、人との関わり方も異なっていた。

授業中に先生に質問する、というのはここでは普通ではないらしい。
好きなものの話は、相手の顔色を見ながら節度を守って行わなければならないらしい。
それは、難しい作業だった。

私はもしかして、浮いているのではないか?


②常に空気を読む

高校一年の私はこの事態を深刻に受け止めた。
中学三年の「塾友達にあからさまに嫌われる事件」も頭をよぎった。

私の無神経は、人に嫌な思いをさせる。

私は空気が読めないから、気付かぬ間に空気を壊す。それを、知らない人しかいないこの場所でやったらどうなる?
想像もつかないが、私は願っていた。

二度と誰かにあんな迷惑をかけたくない。
てか二度と誰にも嫌われたくない。

以上の理由から、私は頑張って常に空気を読んだ。
不得意分野だから手こずった。
空気読みというのは、慣れていないとかなり意識と集中力を奪われる。
人の言動、表情、トーン、自分の言動、表情、タイミング、言葉選び、トーン。
気をつかえばつかうほど、会話は上手くいかないような気がした。

(もし、下手くそでも傷つけても、本当の自分で向き合っていたなら、私の高校三年間はこうはならなかったかもしれない、と少し思う。)


③勉強をする

大変だった。
課題は難しく、質問したり相談したりできる友人はまだいなかった。
寝る時間を確保していたら、次第に遅れを取るようになった。復習も予習も万全でない状態で授業に臨み、置いてきぼり感に苦しくなった。

勉強は得意だと思っていたので、正直かなり堪えた。

④部活をする

この高校の吹奏楽部に入りたい、と言って受験していた私は、吹奏楽部に入部した。
(実際は、もっと上の高校を勧められたものの、落ちるのも牛後になるのも嫌で、そこから逃げる、「望んでいなかったことにする」ための大義名分だったのだが)

そこは三学年で120名を超える大組織だ。
自県では強豪だった。たぶん

中学ではクラリネットをしていたが、競争率が高く、オーディションを勝ち抜く必要があった。
ここでもオーディションに落ちるのが嫌で、私は「望んでいなかったことにする」を実行。
競争率が低く、中学時代によくしてくれた先輩がいるバスクラリネットを希望ひた。

それで結局、ひと月とまともに活動せずに辞めたのだから、甘ったれすぎて救いようがない。

中学と同様、練習は毎日あった。
パートの先輩方はみんなやさしくあたたかく、かっこいい高校生だった。

ただ人数が多かった。
人見知りではないと思い込んでいたが、
常に空気を読みながら、絶対に覚えきれないと思えるほど新しい人の顔と名前を、失礼のないようにインプット/アウトプットするというのは、容易ではない。

そしてやはり、勉強と部活の両立は難しいものだ。
慣れるまで大変やろけど慣れたら平気やで、と先輩全員に励まされながら、それっていつだろうなーと思った記憶がある。


結果……

母によると、4月末ごろから次第に部活を、学校を休むようになったらしい。
このあたりの記憶はすこし曖昧だ。
学校を休むようになった頃に先輩に相談して、5月頭のイベントを最後に、ほぼ無断で休部を申し出たような記憶がある。

心と体の忍耐力が薄まり、失われていく感覚。
なにもかも放り出したくなって、どこにいても、布団の上でも、家に帰りたい、と思っていた。

当時は理由がわからなかった。
なぜ、私は学校へ行けないのか?
説明できず、しんどいから行きたくない。としか言わなかった。
毎日毎日ありもしない学校を休む理由を探す。
苦しい作業だった。

母は、学校に行けなくなり、その理由を話せない私の様子に、それなりに取り乱し苛立った。
元来少しばかり乱暴な父は、なんかでけえ声を出してたまに物を投げたりしていた。
姉は、私にほんの数回、学校に行けないことを恥ずかしいことだと言った。

私自身、学校に行けない自分に上手く価値を見いだせなかった。
なんで何もできないのだろう、やたらとお金だけは掛かっていて申し訳ないな、と思っていた。
いつになったら行けるようになるんだろうな、とも。

成績と出席はひどいものだ。
赤点を取り、補習をしてもらい、欠課時数に配慮をしていただいて、及第点ギリギリで進級を重ね、卒業までさせていただいた。
リアルに死ぬまで頭が上がらない。

(ちなみに最後の一年は、コロナ禍で登校が不要であったり、体育の欠席に特別の配慮があったりした。それが無ければ、卒業は危うかったろう)

転校はしなかった。

後悔は無い。
それなりの進学校を卒業したという学歴を得、その上、今の大学に受かったのは絶対に高校のおかげだ。
それはあまりに、素敵すぎるだろう。
本当に、死ぬまで頭が上がらない。


とはいえ実は全然マシ

このように書くとめっちゃしんどかった気がしてくる。
いや実際めっちゃしんどかったけれど、じゃあ中学以前に戻りたいかと問われたら、私は確実にNoと答えると思う。


先に「学校に行けない自分に上手く価値を見いだせなかった」と書いた。
それは本心だが、しかし、それだけではなかったのも確かだ。

当時の私は「会話などで失敗せずに過ごせている」ことがかなり大切だった。
学校に行けない自分のことを好きにはなれないが、中学時代の無神経の具現化みたいな自分よりはかなりマシだと思っていた。

高校では友人と話す機会が激減したお陰で、あまり失敗せずに過ごせていた。
中学時代よりマシ。
それだけで、少なくとも生きている価値はあると思えた。

そうつまり私は自分のことを、

「学校にすら行けない、かといって家で勉強するでもなく寝て起きてアイドルみて漫画読んでTwitterみてる、居るだけで金がかかる迷惑な奴、社会のお荷物一家の恥! 甘ったれてねぇではやく学校へ行ってすべきことをしろ」

と思いながら、同時に

「こんなにしんどい思いして生きててかわいそう〜ほんとはもっと休んでいても大丈夫なのにたまに学校行ってて偉い本読んでて偉いテスト受けてて偉い補習行ってて偉い! 中学時代よりも空気読めなくて迷惑かけることが少なくなっていて偉い偉すぎる〜!」

とも思っていた。


だから、今も生きている。よかったね

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