忘れたくないことは思い出すしかない、感覚神経は切りつけるまでその精度を測れない


下手くそにしか学校生活を送れなかったあの頃も、社会の流れに置き去りにされそうになっている今も、目に見える自傷行為はしなかった。

ただ、目に見えない形の自傷はめちゃくちゃやった。というか現在もやっている。

それは「思い出す」こと。


マイナスな感情は、なぜか寝る前に襲いかかってくる。

誰かの言動に傷ついた経験や、怒られてつらかった経験なんかがいくつも思い出されてしまって眠れなくなる。
あのときあんなことされて嫌だったなとか、あんな言い方しなくていいのにとか。
こういうときは、つらくて泣く。

反対に、自分の失敗で迷惑をかけたり誰かを傷つけたり気を遣わせたりした経験も、高頻度で思い出す。体感的にはこちらの方が多い。
無神経さと空気の読めなさにコンプレックスを抱いているためか、対人関係における失敗(会話や距離感など)についての記憶が蘇りやすい気がする。あんなこと言わなきゃよかった、しなきゃよかった、こうしたらよかったとか。
こういうときは、後悔に胸を締めつけられ、羞恥で死にそうになる。

(他の人もそうなのだろうか。もしそうではないなら、私は人よりも、恥の感情や、自意識というものが強いのかもしれない。)


ただでさえしんどいのに、寝る前にこうなるのってのがまたしんどい。
けれども、勝手にフラッシュバックするから仕方なくしんどくなっているのではなく、
私自身がどこかその苦しみを望んでいるのではないかと推察している。

マイナスな感情を何度も思い出しては、ひとしきり傷つき、後悔し懺悔し、憤り、
そうして落ち着いた頃に言語化して、メモやノートに記録した。
一時の感情も、文字にしておくと保存が効くからだ。
可能な限り詳細に記録した。

読み返した時にしんどくなることができるように。


これは自分自身を切りつける行為に他ならないと思う。私は自分の心を、つらさや羞恥という鋭利で殺傷力の高い刃物で切り、

「この感情はよく切れるなぁ。」
「この感情はすこし鈍ってきたか……またよく思い出して研がないと」

といった具合に、自分の心へのダメージ、切れ味を確認する。
この作業を定期的に繰り返し行う。点検作業を怠ってはならない。放っておくと、鈍って切れなくなるから。

精神的ダメージによる自傷。目に見えない自傷。身体的健康状態が正常であれば、目に見えない傷は誰からも指摘されない。ローリスクで効率的だ。
ただし、この行為の目的は自傷自体ではない。切りつけ痛めつけることではない。憎く愚かな自分を傷つけるためにやっている訳ではない。

では何か。

これは、今の自分がまだ過去のつらさや羞恥に対してまだ敏感であること、あの頃の感性を失っていないことを確認するための行為なんだと思う。


あの頃こんな言葉に傷ついた。私はあんな言葉で傷つけた。その瞬間に心が負ったダメージを、見えないところで流した涙を血を、誰かに与えた傷を、死にたくなるような後悔を恥ずかしさを

忘れる訳にはいかない。
忘れていいはずがない。

傷ついたあの頃の私を、私が傷つけたあの人を、今に繋がるあの苦しみを。


感覚神経がまだ正常に働くことを、確認し、戒めるために。
何度も思い出して、切りつける。

ああよかった、まだちゃんと血が出る。
あの痛みを、まだ自分事として捉えている。

繰り返す。
あの子を一人にしないために。
私が誰かを傷つけないでいるために。
二度と同じ失敗をしないために。


大丈夫。まだ忘れていない。
私の痛覚はまだ鈍っていない。
大丈夫。きっと忘れない。
あなたが傷ついたことを、あなたを傷つけたことを。

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