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アイデンティティとしての欠陥

Twitter投稿の改良版をここに。


私は欠陥品だが、新しいものは欠陥から生まれると思っているのでそれを否定的に捉えていない。


一方、祖父母は差別される/虐められる要素となりうるものはすべて隠せというスタンス。

これは時代背景を考えると自然なことであるし、決して否定したくない。


しかし、自分を自分たらしめるものを隠すべきものとみなされるのはどうしても屈辱的である。


自分のことを想ってくれることに対し本当に感謝しているし、好きだけれど、分かり合えないのだろうなぁと昔から感じていたのはこの点だと気づいた。

まぁ、私が分かり合おうとしないせいかもしれないが、大変な思いをして生きてきた方々の残りの人生に荒波をたてたくない。

だから孫という生命体が元気に生きていることが求められるならそうしたい。


ただそれは私である必要があるのだろうか。

口が裂けても言えない。

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