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【短編】バタフライナイフ

「親と子」という物について考える事は随分若い頃からあった。

僕自身の傾向なのか、その頃僕が居た場所の傾向なのかは分からないが、親子関係に何かしらの問題を抱えた友人が多かったからだ。
彼らが語った言葉や怒り、失望や涙が僕の心の中にずっと残っている。
それらを僕なりに生かしていく事。
それもひとつの友情の形だと信じる。

これはそんな話だ。

それはまだ、僕達のバンドがほんの駆け出しの新人だった頃。
ただ情熱だけを封じ込めたようなデモテープをいくつものライブハウスに持ち込んで、何度も何度も無視されながらもやっと京都と大阪に一軒ずつ演奏させてもらえる店が出来た。
それぞれ月に一度くらいのペースだった。

ただ、それを繰り返していれば自動的に次のステップに進める訳じゃ無い事にはすぐに気がついた。
だからといって闇雲に前へ前へと走る事にも躊躇してしまう気持ちもあった。

1989年。
いわゆる「バンドブーム」の時代。
辺りを見渡せば素晴らしい演奏技術を持つバンドや、誰にも真似の出来ない個性を持ったバンドが溢れていた。
そして、僕達がそのどちらでも無い事は自分でよく分かっていたからだ。

そんな僕達にも少しずつ「ファン」のような存在、馴染みのお客さんが付くようになった。

ある日、そんなファンの女の子達が街で知り合ったという少年をライブに連れて来た。
高校一年生だけど背が高くて、お姉さん気取りで彼を扱う女の子達よりも大人っぽく見える雰囲気があった。
少年はいつも陽気でテンションが高く、皆を楽しませる事を意識している一方で、キチンとした礼儀正しさも持ち合わせていた。
要するに「出来た後輩キャラ」だった。

彼は次のライブも、またその次のライブにも姿を見せた。
男の子のファンは初めてだったし、人柄の良さもあって彼はすぐにバンドメンバーにも可愛がられるようになった。
僕達は親しみを込めて彼を「少年」と呼ぶようになった。

ただ、少年はライブ後に皆で談笑している時などに、フッと話の輪から外れる事があった。

皆から離れ、少しボンヤリした表情で縁石などに腰掛け、ポケットから取り出したバタフライナイフをたたんだり開いたり、カチャカチャと音を鳴らしながら曲芸のように両手の間を往復させていた。

そんな時は、お姉さん気取りの女の子達も少年に近づきがたい物を感じている様だった。
背伸びをしていても彼女達だって普通の女子高生なのだ。ナイフなんかには縁は無いのだ。

僕は(案外器用なんだな)と感心もしたけれど、やっぱりそんな時の少年はちょっと理解出来なかった。

夏の終わり。
ライブの後、僕は苛立っていた。
相変わらずの日々。
懸命に曲を書き、懸命に練習をして、懸命にライブ活動をおこなう。

当たり前だ。
世界中のどのバンドだってやっている事だ。

突き抜けたい。
次の段階へ、圧倒的な勢いで突き抜けたい。
だけどその為の「突破口」が一体何なのかが分からない苛立ちだった。

ライブハウスを出る。
顔馴染みのファンの子達が集まって来る。
ほんの10人ほどの常連さんと僕達バンドは、アットホームな良い関係を築いていた。
それなりに居心地が良かった。
それも何故か僕を苛立たせた。
そんなぬるま湯に浸かりたく無くて生まれた街から出たはずだったのに。

ふと見ると、また少年がバタフライナイフを弄んでいる。
僕は少年に近付き声を掛けた。
「なぁ」
街の雑踏と喧騒の中、僕の声は少年に届かなかった様だ。
「おい!」
続けて掛けた僕の声は、自分で思ってたよりもずっと語気が荒くなってしまっていた。
「みんなが楽しくしてる時にそんな物出すな!」
僕はそう言った。
少年に向かってそう言った。
もしかしたら、自分に向かって言ってたのかも知れない。
少年は呆気に取られたような顔をした後、とてもバツが悪そうな表情になり、それでも素直にナイフをポケットの中にしまった。

その日、いつものように皆と話した後、僕が少年を機材車に乗せて家まで送って行く事になった。
普通はそんな事はしない。
でもその日はそうなった。
怒鳴ってしまった事がなんとなく僕の心に引っかかっていたからだと思う。

少年の家は、街の西の外れの住宅地にあった。
「その辺りで...」
少年の道案内で小さな川の傍に車を停める。
橋の向こうに、同じようなサイズの家が並ぶ住宅地が見える。
きっとそこに少年の家があるんだろう。

「少し... お話してもらってもいいですか?」
少年が言う。
いつもと声のトーンが少し違う。
断る理由も無く、僕にもそうしたい気持ちがあったので車を降り二人で川の土手に座った。
川を挟んだこちら側には住宅地も無く、街灯も何も無いただの田舎道だった。
僕はなんとなく故郷を思い出していた。

それから僕達は、長い話をした。
ほとんどが他愛も無い話だ。
好きなバンドの事、友達の話、僕が少年ぐらいの歳の頃の話。
少年はよく笑い、僕も同じくらいに笑った。

月が山の端に消え、家々の灯りも消えて行く。
もう随分遅い時間だ。
僕達は少し無口になった。

ふと、少年がそれまでよりもずっと小さな声で自分の家族の事を話し始めた。

小学生の頃、両親が離婚した事。
父も母も自分を引き取ろうとしなかった事。
今は祖父母と暮らしている事。
その祖父母も自分が何処で何をしていようがまったく興味が無いらしい事。
学校に馴染めない事。

僕はただ黙って聞いていた。
話の中で不思議に感じたのは、少年の言葉の抑揚に誰かを責める響きが殆ど無かった事だ。
僕はまるで渋滞情報や長期天気予報のように「どこか他人事」な空気で語られる極めてプライベートな話に耳を傾け、その疑問の答えを探していた。

怒りや憎しみが、結局は何も生まない事を少年は経験的に知っているのか、或いはそんな事に疲れてしまったのか。
もしかしたら、僕にはまったく経験したことの無い種類の感情だったのかも知れない。

遠くを走る車のライトが、カーブか何かの拍子で一瞬だけ僕達を照らす。
急に白く飛ぶ視界の中で、僕は少年の手に握られている物が銀色に輝くのを見た。
バタフライナイフだ。
彼は一体いつから、まるでお守りの様にこの物騒な物を握りしめて生きてきたのだろう。
それを想うと、僕はなんだか急に哀しくなって来た。

辺りは闇夜となり、隣に居る少年の顔の表情もハッキリとは見えない。
それでも、彼が静かに泣いているのは分かった。

しばらくして、少年は元の声のトーンに戻り、
「すいません、変な話しちゃって」
と言って立ち上がった。
僕も立ち上がり、何か言うべきかを考えた。
すると少年が、
「ひとつだけ質問していいですか?」
と言った。
「何?」
と僕が問い返すと少年は、

「夢ってあります?」

僕は「...え?」と驚いた。
意表を突かれた。想定外すぎた。
本気でバンドをやってる奴にする質問ではないと感じたからだ。

でもすぐに気付いた。
そんな事じゃない。
少年が聞きたいのはそんな事じゃない。
どんな職業?とか、幾つで結婚?とか。
決してそんな事じゃないんだ。

少年もすぐに自分の質問が少しオカシイ事に気付き、慌てて修正したりアレコレと言葉を付け足したりしている。
きっと赤面してるんだろうな、と思う。

そして僕は言葉を探す。

少し前に月が姿を隠した山の稜線辺りに視線を漂わせて言葉を探す。

愕然とする。

何も無い。
何も無いんだ。
バンドを世の中に出す事、売れる事ばかりを考えていた。
「人としてどうありたい」なんて、しばらく考えてもいなかった。

でも、それは言えない。
暗い闇夜、必死で目を凝らして僕をまっすぐに見つめている少年にそれは言えない。
あるはずだ。
いや、あったはずだ。
考える。必死で考える。
全速力で脳の中を駆け巡り「想い」の破片や断片を拾い集める。
そして慌てて組み立てる。
少年も突破口を探しているんだ。
心の中に積もった雪が溶け始める瞬間を待っているんだ。

僕は一度深く息を吸い込み、ゆっくりと言葉を選びながら話した。

「例えるなら、タネ明かし、
あるいは答え合わせ...

いつかきっとそんな時が来て、
今、自分が感じてる不安や失望や苦痛も、
あぁ、アレはそういう事だったのか、って
謎が解けるような時が。

それが5年先か10年先か、
もっとずっと先かも知れないけど。
その時、どんなに辛い記憶でも、
どれだけ悲惨な大失敗でも、
『まぁ、アレはアレで良かったのかもな』
と思えるような自分でありたい。

どこで、どんな仕事をして、どんな人生を送っていたとしても。

多分、
『幸せ』というのは、
そういう事なんじゃないか?って。
今はそんな風に思ってる」

精一杯だった。
僕よりもずっと重い荷物を大人達に無理矢理背負わされ、それでも笑って生きてきた少年の心に届いたかどうかは分からない。
でもそれが僕の精一杯だった。

少年は少し黙っていた。
それから、とても明るい声で、
「大丈夫ですよ!エイジさんならきっと大丈夫!」
と言った。
多分笑顔なんだろう。
ただ、笑顔にも色々な種類がある。
僕は少年の表情を見たくて目を凝らした。

でも、夜の闇は深すぎて
ハッキリと確認する事は出来なかった。

次のライブに少年は姿を見せなかった。
その次も、またその次も。
結局、僕はあの夜以後二度と少年に会う事は無かった。

僕は何度もあの夜を思い返し、二人の会話を初めからなぞって、どこかで少年を深く傷付けたりしていなかったかを考えた。
何度も考えた。
なかなか眠れない夜もあった。
浅い眠りの中で、とても嫌な夢を見て目が覚めてしまう事も何度もあった。
それでも結局、僕には何も分からなかった。

数ヶ月が過ぎたライブの日。
女の子達が少年の話題を持って来た。
街で偶然会ったらしい。

「少年さ、高校辞めたんだって」

「ふーん」

「なんかね、叔父さんがやってるお店でバイトしてんだって。飲み屋さん」

「へぇ、そうなんだ」

「当分は見習いだけど、いつかバーテンダーになりたいみたい。
叔父さんって人、バーテンダーでね、カッコイイんだって」

「へえ、そう」

「だからね、夜は仕事なんでライブ行けなくなったって...

ねぇ、聞いてる?」

「あぁ、うん」

特に何の興味も無い感じで淡々と「へぇ、そう」としか言わない僕に女の子達はちょっと不満を持ったようだった。
だから少年の話もそこで終わったんだけど。

でも本当の所、
僕は少しでも気を緩めたら泣いてしまいそうだったんだ。

「そうそう、『エイジさんによろしく伝えて』って言ってたよ」

「へぇ、そうなんだ」


その夜、アパートに帰りベッドに横になってから、もう一度あの夜の事を考えた。

「大丈夫!」と笑う少年の笑顔も、まるでハッキリと見たかのように想像出来た。

僕も少年も、まだまだたくさんの物を乗り越えて、もっともっと遠くまで行かなきゃいけないんだろう。

それでもきっと、僕達は大丈夫なんだ、と思えた。

眠りに落ちる前に、バーテンダー姿の少年を想像してみた。

彼の器用な手の中でリズミカルに踊るのは、あの日のバタフライナイフでは無く銀色のシェーカーだ。

それはとても素敵な光景だった。

僕は本当にそれが嬉しくて仕方なかった。

それから僕はゆっくりと、深くて長い眠りに落ちて行った。

嫌な夢はもう見なかった。

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