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ミニマリスト≠シンプリスト

人間の体は水でできているから、最後は結局水が一番おいしいし、日本人だから最後は結局ごはんと味噌汁納豆とお新香、大根おろしに焼魚があれば、普通に満足なのではないだろうか。最近はよくこんなふうに感じるようになった。

よく人脈が命みたいな人を見かけるのだが、私には親友と呼べる人が2~3人と、家族さえいればそれでいい。それはつまらない生き方に見えるかもしれないが、価値観は人それぞれである。そう、私の場合は一周回って、これさえあればいいよね、というラインがすでに構築されてしまっていて、その箱には隙間はない。

しかしそれ以外のものを何も見てこなかったとか、知らないというのではダメで、いろんなものを見たり、経験した上で原点回帰するという行程が重要であると思っている。「経験」というのは人としての自分の軸がぶれないために、とても大事な要素であると思っている。

それによりこれから先を生きていく上での無駄が大幅に省ける。膨大な時間やエネルギー、何よりもお金を浪費しなくて済むようになる。そこには我慢や取捨選択も不要なのである。私自身がそれを「好きかどうかですべてが決まる」のだ。「持てない」のではなく「要らない」。だからそれはお気に入りを大切にして生きるというだけのことなのである。ミニマリストでなく、シンプリストのほうが心地いいのはこうした理由からである。

さて、今日の晩ごはんの支度に取り掛かろう。


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