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シーフードパエリ足利尊氏

たまに行く、信頼出来るスーパーでシーフードミックスを購入。
普通のスーパーで販売しているシーフードミックスとは単体では売り物にならない海老やイカをまとめた物のように感じます。しかし、そのスーパーのシーフードミックスは大きな海老やムール貝、帆立等々の豪華な内容。
これは買うしかないでしょう。
このシーフードミックスでパエリアを作った記録。


材料

シーフードミックス 半分使用
ブロッコリー    半分
大蒜        1欠け
トマト       1個
ローレル      1枚
パプリカ      1個
レモン       1個
マッシュルーム   4個
玉葱        半分
ミックスチーズ   お好み
干し海老      適量
岩塩        小匙1
胡椒        適量
バスマティライス  2合
ターメリック    小匙1
オリーブオイル   適量
パセリ       お好み

以前、同じようにシーフードを使い、ご飯物を作りました。その時に妄想したのは新田義貞。↓

同じくシーフード、そして米を使い、今回は新田義貞のライバル、足利尊氏を妄想することにします。

八幡太郎源義家の孫が下野国、足利に土着したのが足利氏の起こりであり、源氏の名族。鎌倉時代には執権の北条氏と婚姻関係を結び、御家人の中でも別格というべき安定した地位を確立。
足利貞氏の次男として誕生した又太郎が後の尊氏。


大蒜を微塵切り。

元服した後は、北条家の得宗、つまり最高権力者と言うべき北条高時の偏諱を受けて足利高氏と名乗り、北条一族である赤橋守時の妹を正室に迎える。貞氏の長男が早世したために足利家当主に。
何事もなければ、このまま足利家当主として、御家人筆頭というべき人生をまっとうしたかもしれません。しかし世の中の激動が彼を大きく動かす。


玉葱を微塵切り。

鑁阿寺の置文という伝説があります。足利氏の始祖は七代後に生まれ変わって天下を取ると遺言。その七代目の時代は鎌倉幕府が堅固な時。とても天下など望めず。そこで自分の命を縮めるので、三代の内に天下を取るべしと一文を菩提寺の鑁阿寺に残して自刃。これが置文。
その三代目に当たるのが高氏。これを知っていた?
後醍醐天皇が倒幕を号令して始まった天下騒乱の時代、高氏は長男の義詮を鎌倉攻めに向かう新田義貞に合流させ、自らは都の幕府出先機関というべき六波羅探題を襲撃。
足利親子らの働きにより鎌倉幕府は滅亡。後醍醐天皇による建武中興。
倒幕後、後醍醐天皇は自らの名前、尊治の一字を恩賞として高氏に与え、以後は足利尊氏となりました。

マッシュルームとパプリカを細切り。

しかし、建武中興に武家の不満爆発。命懸けで働いたのに十分な恩賞なく、政治に不慣れとなっていた朝廷の命令は朝令暮改の連続。
やがて、そうした不満ある武士達は尊氏を頼るように。
そうした中、北条高塒の遺児、時行が挙兵。鎌倉に迫る。
鎌倉には尊氏の弟、直義がいましたが、兄程の軍事の才能はなし。鎌倉を守るために尊氏は朝廷の許しなく下向。これにより反逆したと見做される。


オリーブオイルで具を炒める。

足利尊氏という人物、戦をすればほぼ勝つ。というのも命を惜しまず、先頭に立って戦うことから、他の者も奮い立つ。また物惜しみしない性格で、他の武士達にも恩賞を惜しみなく与えていました。
器量が大きいと言うべきか。神輿として担ぐには持って来いの人物。


米と水、塩、胡椒、干し海老を投入。混ぜる。


当時、八朔という行事。これは真夏に世話になった人や上役に贈り物をするお中元みたいなものだったのですが、尊氏の所にも沢山の贈り物。ところが来た人に、前に来た人が置いていった物を土産に持たせるので結局、何も残らなかったという逸話。物惜しみしない性格を示しています。
ただ、そうやって大名達にどんどん領地を与えたために足利家自体の所領は増えず、大名達が力を持ち過ぎることになり、後に彼の子孫は対応に苦慮することに。


蓋をして20分。炊く。

後醍醐天皇とも決裂し、持明院統の光明天皇を即位させ、そこから征夷大将軍に任じられることで尊氏は室町幕府を樹立。
後醍醐天皇は吉野に逃れて、これに抗戦。京都の北朝、吉野の南朝と二人の天皇が並び立つ時代に。
失意の内に後醍醐天皇が崩御すると、尊氏は元に交易船を出し、資金を稼いで天龍寺という後醍醐天皇の菩提を弔う寺を建立。敵対したのに?
こういう所が人のいい、坊ちゃん気質というべきか。


20分後、チーズを散らして再度、蓋。チーズが溶けるのを待つ。

「この世の果報のすべてを弟、直義に与えたまえ」と尊氏は清水寺に願文を捧げました。
尊氏と直義の兄弟、父母ともに同じで尊氏は戦で、直義は政務で実力を発揮。二人で足利家を天下に導いたと言えます。しかし対立するように。
これは尊氏の執事、高師直が直義の政治に不満を抱き、そして尊氏の庶子で直義の養子となった直冬が反乱を起こしたことが原因。
観応の擾乱と呼ばれる騒擾。
最終的には鎌倉に幽閉された直義が病死したことで収まりましたが、毒殺されたとも言われます。


シーフードパエリ足利尊氏

レモンを飾り、パセリを散らして完成。
底に焦げた部分がありますが、それがまた香ばしくて美味。トマトのリコピン、ブロッコリーやパプリカ、レモンからビタミンC、海老からキチンキトサン、ムール貝にアサリと貝からのミネラル豊富。
干し海老からの出汁が旨味を引き立てる。とろけたチーズも素晴らしい。
粘らない長粒種の米がパラパラして美味い。


取り分けて、レモンを絞って頂きます。

置文の通り征夷大将軍として天下人になった尊氏ですが、生涯を戦に明け暮れ、弟に先立たれ(殺した?)、結局は彼の生存中に南北朝合一はなりませんでした。
延文三年(1358)に死去。死因も戦で受けた背中の傷が悪化したためと言われます。墓所は京都の等持院ですが、鎌倉の長寿寺にも遺髪を納めた墓。長寿寺の映像をどうぞ。普段は拝観止めですが特別公開の日に撮影。↓


彼と同じように幕府を開いた他の二人、源頼朝と徳川家康に比べると、尊氏の印象は薄い。彼が基本的にいい人だったからかもしれません。そのために多くの武士に頼られたものの、非情になり切れなかったので戦乱が続いたとも言える。そんなことを思いながら、シーフードパエリ足利尊氏をご馳走様でした。

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