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霊視の不思議と神社の式神

私はIT&経営コンサルタントをしている。ここに至るまでは、わりと人生ハードモードだ。私と同様に霊視をする人は、人生ハードモードな人が多いように思う。別に自分で選んでるわけではないのだが、楽で幸せな人生よりも、魂が修行する人生を選んでしまう。同様の人はたくさんいる。楽な人生を選べるはずなのに、なぜか人生ハードモードな人。

霊視の不思議

霊視は自分でやってても不思議だなぁと思う。私も元々そんな力があったわけではないが、ハードモードな人生を送ってるうちに、身についた。
私の場合、スマホのカメラで対象者を撮影するところから霊視が始まる。そのまま直接はできない。また、スイッチを入れるために、塗香とお経が必要だ。何人もやってるうちに、だんだんと精度が上がってくる。

写真方式になったきっかけは、富士山の麓にある、神仏習合の神社に行ったときの体験による。それは大晦日の日だった。息子君を連れて、富士山の麓にある神社巡りをしたくなった。 富士山の麓には神社がたくさんある。富士山信仰と、過去の神仏習合の神社がまだ残っているとネットで情報を得た。神仏習合の神社に興味があり気になったところを訪ねるようにしている。私の四代前のご先祖が、この神仏習合のお寺の住職だったそうで、先祖の土地は明治時代に旧日本陸軍に土地を召し上げられ、今は自衛隊基地になっている。

神仏習合とは

明治時代までは普通にあった形式だが、明治政府により廃止されたらしい。お寺の境内の中に神社がある、両方を兼ねているお寺だ。富士山の麓に、村山浅間神社という神社があり、それが古来からの神仏習合の形態を未だに守っているとのこと。近くに縄文時代からあるという、道祖伸が365体もある地域だ。
興味を持った私は息子を連れて大晦日に神社を訪れてみる。

村山浅間神社


富士山の麓、富士宮に位置する神社。修験道の神様でもあるらしく、富士山の頂まで続く旧登山道の入口もある。大晦日の神社は全く誰もいなかった。
誰もいない神社に息子君と二人で境内に続く階段をあがっていく。私が何気なく階段の途中で境内の写真を撮影。すると、この写真に霊が写り込むことに。境内の階段裏から、旧登山道に続くのだが、その登山道に入った途端、異変が起きる。 私が旧登山道で写真を撮ったときだった。何かに押されたような感覚があり、私は携帯を落としてしまった。携帯のカメラの部分だけが見事に割れ、レンズのガラスがなくなった。


みえない修験者を撮影してしまい、カメラを壊される

その後、動物がうなるような声がし、急に周りの竹林がカランカランと音を立て始める。息子君と二人きりの竹林の古参道で、何者かがうなる声。
私と息子君は走って車まで逃げるように森を出た。あとから古登山道を撮影した写真を見て驚く。
緑色の不思議な物体が写っていたのだ。この2枚の写真を霊能師匠に送って、意味を聞いてみた。

カランカランと竹が鳴り、どこからともなく獣の唸り声が。緑色の修験者が写る

緑色の修験者は式神だという。式神を用いているのは、大晦日だからで、式神を使って結界を貼っていたところに、自分たちと別宗派の私と息子が訪れ、勝手に結界内に入ったため、怒りを買ったんだそう。また、写真を撮られるのをとても嫌がり、私のケータイのカメラのみを壊したそうだ。

私はその話を聞いて、ケータイの写真を全部消す事にした。それからというもの、私のケータイで撮影すると霊が写るようになる。レンズの前のガラスがなくなったことにより、光の加減で写るのかもしれない。
ただ、写ったものを説明すると何とも言いようがない・・・私だと知りえないような事が出てくる。

霊視を仕事にはしない、要求された人しか視ない

霊視の正体は私にもよくわからない。ただ、私の基本方針として、「霊視を仕事にはしない。あくまでも、ボランティアで相手が要求したときだけ行う」という事にした。誰でも勝手に視られるのは嫌なことだと思うし、私も、あえて本人が見せてない部分まで見る気はない。
霊視で見えるものは、その人の部屋だったり、想いを寄せる相手だったり、秘密の恋人だったり、職場の人間関係だったりと、かなりプライベートな内容が多いからだ。 ちなみに念を受けてる場合などは、誰が念を送ってるかを特定できてしまうし、部屋の中は詳細までわかる。
何故なのか?こればっかりは理屈で証明できない。

神社の式神

ところで、話は戻るが、式神について気になったので調べた。式神といえば、陰陽師が紙札を変化させて使役する神にするといったイメージだ。
私はたまにこの緑色の式神を、神社でみることがある。なぜ式神がいるところといないところがあるのか。この式神が視えるところは、神仏習合なのではないかなと思った。陰陽道は古神道と、密教、道教の陰陽五行思想がまざったものとのこと、まさしく神仏習合だ。

神仏習合は戦略の歴史?


神仏習合のお寺&神社の特徴として、私がみた限りは神社があったところにお寺が建っている。お寺が神社の真ん前にあることが多い。上記に書いた、村山浅間は、隣に建っている。
長野県の諏訪地方にいくと、古代縄文の遺跡等がたくさんある。諏訪大社の一番古い社は、そもそも社が存在せず、山を信仰している。古代縄文の聖地が、その後弥生人が持ち込んだ神社になり、仏教が入ってくると寺になるという、戦略の歴史なんではないか。 このあたりは私の定年後のテーマとし、神仏習合の神社やお寺を探す旅をつづけてみたい。


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