沈丁花美空の憂鬱 第1夜

こんばんは。沈丁花美空です。
俳優をやっています。 あ、知ってる?どうもありがとう。
ここは会員制のバー「わけあり」。わたしの行きつけのお店。 

霧がかった雨降りのせいね。コートが濡れて手がちぎれそうに冷たい。 こんな夜はわたしも霧の様に溶けて消えてしまいたくなる。
え?テレビやお芝居で見るような美空じゃないって? そうね、その一面を知ってくれてる人には、 こんなわたしはギャップがあるかもしれない。 
あれはほんの一面。 それでもこんなわたしも、確かにわたしの一部として存在しているのよ。

知らない人もいるだろうから、この辺で少しわたしのこと聴いてもらおうかしらね。
わたしは沈丁花美空。「じんちょうげ、みそ」という名前で活動している俳優です。そう「みそら」 じゃなくて「みそ」。 これはねぇ、俳優名鑑に載った時に間違いで「みそ」になってたの。当然訂正を求めたわ!だって「みそ」よ! これから清純派俳優としてやってこうと一念発起したその矢先に...。 でもねぇ、関係者一同みんな面白がっちゃって。そして何より当のわたしも面白くなっちゃって... 半ばノリで「みそ」にしたって訳。 
でも、キライじゃないわ...この名前。わたしみたいでね。
本名はね...あんまり教えたくないんだけど...「山本...よし江...」
誰?!今笑ったの!!! もう、酔った勢いでつい喋っちゃったわ。まぁ、でも、そうよね。華々しい芸名とは対照的な名前だものね。あだ名はいつでも「よっちゃん」だった わ。ま、それはさて置き... ここにいる時は「よし江」のわたしなのかもね。

仕事が終わっても、まだ帰りたくないような夜、言葉にならない思いが胸の中に渦巻くような夜... そんな時、わたしはこの店のドアを開ける。 今夜も何があったという訳ではないのだけれど、家に帰ろうという気持ちとは裏腹に、気づけばこの、いつもの席に座っていたの。

「マスター、同じの。少し濃いめにして頂戴。」


〈第2夜へ続く〉

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