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2022年の夏はアームチェア・トラベラー

2020年にほぼ消滅した海外旅行

 日本における過去最高の出入国者数となった2019年から一転、2020年は新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、4月以降の海外旅行がほぼ消失するなど未曾有の事態に直面した。
 2022年の4月の今も、SNSのタイムライン上には浮かれた海外旅行者の写真は見当たらない。
 新しく目にする様になったのは、急に仕事が無くなってしまった日本人向け観光ガイドがパリを紹介するYoutube番組や、旅行会社が未来の顧客向けにハワイのビーチをリアルタイムで紹介する海外旅行疑似体験ZOOMイベントだ。それらを視聴する事で、私達は海外旅行に行きたい欲求を緩やかに満たす事ができる。

出典:法務省出入国在留管理庁【令和元年】公表資料(2021.3)
https://www.jata-net.or.jp/data/stats/2021/index.html

1970年代の海外旅行疑似体験コンテンツ

  海外旅行がほぼ消失した2020年と同じ出入国者数だったのは約50年前の1970年代だ。その頃も海外旅行を疑似体験できるコンテンツはあった。私が印象深く覚えている番組は2つある。一つ目はTBS系列で放送されていたTV番組「兼高かおる世界の旅」(1959年12月13日から1990年9月30日)もう一つは、TOKYO FMをキー局にJFN系列で放送されていたラジオ番組「JET STREAM 」(1967年7月4日〜現在)だ。
 「兼高かおる世界の旅」は、ジャーナリストの兼高かおるがディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、全世界・約160か国を取材した映像を放送していた。海外情報を映像で知る貴重な番組として幅広く親しまれたが、番組末期の1980年代には日本人の海外旅行も一般化するなど、番組を取り巻く環境は大きく変わり、1990年9月30日放送分をもって終了している。※1)
 「JET STREAM 」は「日本人が世界に旅立ちたいという想いを幾多の人に伝える、イメージの世界で旅のできる番組を作りたい」という制作者の思いにより 「兼高かおる世界の旅」の開始8年後に誕生している。
「兼高かおる世界の旅」が実際に訪問した国の模様を放送した事とは対照的に海外旅行に1回も行った事が無かった構成作家の堀内茂男がナレーション原稿を書いていた。※2) 
 堀内茂男本人はインタビューで「JET STREAM 」とテレビとの違いについて下記コメントを残している。この「心の旅」を描かせる事ができた事が、「JET STREAM 」が長く愛される番組になっている理由の一つかもしれない。

具体化した旅のイメージを伝えるというより、叙情的に表現して、リスナー一人一人も「心の旅」を頭の中に思い描かせる事が大切なんです。
同じ旅行番組でもこれがTVだと映像を流すから直接伝わりすぎちゃうし、同じところは何度も流せないからマイナーな場所に行かざるを得ない。想像を膨らませるラジオだから長く続けられたんですね。

Quick Japan Vol.63

「JET STREAM」の番組構成


 「JET STREAM」の番組構成は、ジェット機の離陸音と航空無線の交信が聞こえてきた後、”ジェット・ストリーム”というアナウンスが流れる。「ミスター・ロンリー」のテーマ曲に乗せて堀内茂男が書いたオープニングナレーションが流れ、パーソナリティが”機長”として自己紹介する。現在は構成作家が違う為、紀行文のテイストは変わってはいるが、番組構成・オープニングナレーションは昔から変わっていない。
 初代パーソナリティは城達也。27年間7387回「JET STREAM」の”機長”を務めた。城達也は、海外映画の吹き替え声優として親しまれており、ロバート・ワグナーの吹き替えは、城達也でなければ視聴者から苦情が来たほど視聴者を魅了していた美声の持ち主だ。
 番組で流れるの曲はイージリスニングと呼ばれるインストゥルメンタルのムード音楽。城達也の語りが浮き立つようにボーカル入りの選曲されなかった。
 1時間の放送時間の中で曲と曲の間に3〜4回紀行文が語られる。先に説明した構成作家の堀内茂男が書いたものだ。

パリに行ったら、先ず菓子屋を探して、マドレーヌを買うのだ、と
青臭いことを言っていた、君。
菓子屋という菓子屋の、店内の籠に山積みになって、
言うならば煎餅みたいに、ありふれたマドレーヌを、
どの店で選んだだろう。
どれもこれも同じようで、ついにはやけになって、
一番つまらない店で、二、三個、紙袋に入れてもらったのではないか。
かさこそと、袋の中で揺れたに違いない、君の散文的なマドレーヌ。
その足で、サクレクールの石段を登り、パリの甍(いらか)を見渡しながら
頬ばった、一口目のマドレーヌは、とろけるばかりの記憶の海へ
繋がっていただろうか。
駄菓子一個に魅せられた、君の壮大な旅路の果てを思うと、
私は楽しくて仕方がないのだ。

1979・8・31/フランス・パリ

 「JET STREAM 」内で城達也に読まれた堀内茂男の紀行文は番組ファンを魅了し「JET STREAM旅への誘(いざな)い詩集」として発売された。出版されて10年以上経つ今も、Amazonでプレミア価格がつく人気作だ。
 「JET STREAM」人気の理由を知るために、私は書評などに書かれているリスナーのコメントを読んでみた。余計なお喋りを排除したイマジネーションの旅は、聞く人それぞれの人生の断片となって今も生き続けている。

  • 月曜日から金曜日まで、眠る前に気分をリラックスさせるために聴いています。

  • 朝から夜までラジオを聴きながら仕事をしています。

  • 長い時間乗り物に乗れないためジェットストリームで夜中に空を飛んでいる気持ちになっています。

  • 中学生の時聞いていました。いつか海外 に行きたいと、、あれから48年経ちました 今はアメリカに永住しています。

 現在は元リスナー達が「JET STREAM」を聴く事で、懐かしい日々を思い出し、それぞれの思い出に共に癒されている。飛行機に乗っている様な構成の番組だから、まるで同じ便の飛行機に乗り合わせた様な不思議な一体感がそこにある。

2022年の「JET STREAM」の楽しみ方


イギリスで生まれた英語に「アームチェア・トラベラー」という言葉があるのをご存知だろうか。ガイドブック、時刻表、観光ビデオなどを見て、家にいながら旅行や観光の気分を楽しむ人の事だ。

 まだまだ自由な海外旅行が叶わない2022年の夏は、同じように海外渡航が一般的でなかった1970年代の「JET STREAM」 を聴きながら「アームチェア・トラベラー」になるのはどうだろう。

 紀行文を聴きながら本格的なマドレーヌレシピを検索して焼いてみたり、日本で輸入販売されているパリのマドレーヌを取り寄せて実際に食べてみるのも良さそうだ。サクレクールの石段をGoogle Mapsで上って紀行文の2人と同じ景色を眺める事もできる。

 1970年代の放送当時と同じ様に、聴く人によって別の新しい物語を生み出す事もまた「JET STREAM」らしい楽しみ方ではないか。

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