仲代 達矢と岡田 茉莉子の「四谷怪談」

「四谷怪談」を英語字幕で見た。いろいろと考えさせた。仲代 達矢が伊右衛門の役。岡田 茉莉子がお岩の役。まずは1980年前後に見た映画だったが、実は英語字幕がなければ僕にとって会話のほぼ60%以上は理解していなかったことに気が付いた。1980年前後に僕に会ったことのある人はそれに気が付いていただろうか?「日本人」の顔をしていて、筋肉も日本人の先祖から引き継いでいると、コミュニケーションが出来ていないことに気が付かない人が多かった。英語などが多い音楽用語や哲学用語や科学用語のみを話していると伝わっている感じがあったが、日常的な会話は難しいことが多かった。会話が早すぎて理解が出来ないので、全く間違った情報が伝わったり、「忘れている人」、「ぼーっとしている人」などの扱いを受けていた。
映画を見ていても、英語で書かれたあらすじがなければ頭の中で言っている会話をずっと想像をしていた。中国映画や韓国映画よりも分かる単語が日本語にあるという感じだった。時代劇で英語の説明がなければ、ほとんど自分の頭の中の想像を見ていた。中国に遊びに行った時に中国映画を字幕なしで見た時と似ている状況だった。日本は僕にとって難しくミステリアスな異国のように見えていた。そうなると、声の音質や動きを音楽のように、言葉から外して聴くようになる。
仲代 達矢は僕の好きな音質の声をしている。彼の主演している「他人の顔」「豪姫」、「人間の条件」や黒澤明の多くの映画でもそうだった。「他人の顔」や「砂の女」のストーリーは見た数年後に英語訳で阿部公房の小説を読んで意味が分かってきた。「四谷怪談」は僕の頭の中では、意味は当時分からなかったが、仲代 達矢の声の響きが何年も後にも頭の中で残っていた。また、。岡田 茉莉子のお岩のメイクがあまり怖くなかったのも覚えている。1990年代になると。岡田 茉莉子が主役の一人を演じた演劇の音楽を僕が担当していた。最近、「四谷怪談」の映画を見たら、このような会話だったのかと英語で見て初めて分かった。周りの人たちが会話を分かっていると思われながら、頭の中で想像しながら生きていると映画も日常生活も人とは違ったように見えていたと思う。なぜもっと分からない言葉について質問をしなかったかというと、初めはそのようにしていたが、人が「うるさい」という顔をしたり、「なんで分からないのだ」と怒り出したり、場合によっては自己主張をしていると思われたり、議論を始めていると思われたりしていたからです。
日本語は雑誌の原稿を依頼されるようになってから編集者と話しながら覚えて言った。日本の義務教育は親の意向で全く受けていない。僕の本「アウトサイド・ソサエティ」のレビューで「英語が主言語のため日本語はあまり上手くないと謙遜しているが、とても第二言語とは思えないほど淡々と的確に描写していることで、上質な現代小説の感覚で読める」と書く人がいたが、実は雑誌の編集者が全部書き直した上で、出版社の編集者が最初から終わりまで再び全部を書き直している。元の言葉は全く残っていない記事もあった。(また重要な部分が抜けている部分もあった。)
1990年代になると岡田 茉莉子の他、岸田今日子、冨士眞奈美、樹木 希林、藤村志保、沢田研二、などが主役を演じる演劇の音楽を作曲・演奏する仕事を依頼されていた。日本映画や日本の芸術シーンが最も面白かった1950年代、1960年代から70年代前半に活躍していた人たちと会って仕事をすることが出来たのはうれしく思っている。いつか、これらの演劇の音楽をBandcampなどにアップすることを考えている。
粟津ケンさんとのトーク・シリーズでは、日本の1960年代の映画についてのトークを録画始めたが、「他人の顔」と「砂の女」だけ1時間半行ってしまったので、そこから編集してからアップします。トークでは、映画の内容だけではなく、私たちの今日の生活、そして未来にとっての意味を考えながら話しています。編集が終わったらぜひ見てみてください。
ジョン・ネイサンという文芸評論家は、それは安部公募が日本で育っていなく、満州という"No Man's Land" (ネイサンの言葉)で育って20代になってから初めて日本に来たため、社会のアウトサイダーになる感覚が見えているのではないかと推測する。安部公募の英語に訳された4つの小説「砂の女」、「他人の顔」、「燃えつきた地図」、「箱男」の説明を見るとどれも人間のアイデンティティがテーマになっている。読んでいると自分と近い感覚が伝わってくる。

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