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ルワンダ日記 6日目

ジェノサイドメモリアル訪問


ルワンダに来たら、やはりここを訪れるべきだろう。

ルワンダと聞くと、虐殺・ジェノサイドのイメージが強い。
1994年100日の期間で約100万人ものルワンダ人市民が虐殺された。

たった30年ほど前の出来事で、隣人が隣人を鉈や棒で殺害するという異常な事態が起こってしまった。
植民地支配を行っていたベルギーがフツ族、ツチ族という区別を明確に作り、対立を助長していった。
和平交渉が進む矢先、ハビャリマナ大統領暗殺が一つの契機になり、
「ツチ族を殺せ」
とメディアによる扇動が起こり、ツチ族とツチ族の見方をする者が命を落とした。

虐殺が生じた原因は一つではなく、フツ族だけが悪者ではない。

分かりやすい解説は下記のサイトなどをご覧ください。


ルワンダにおける1994年のジェノサイド ―― その経緯,構造,国内的・国際的要因 ――
饗場和彦 (徳島大学総合科学部)より引用


罪のない犠牲者たち

最初に、虐殺から生き残った人達のインタビュー映像を見た。
家族を殺されるのを見た、一人だけ生き残った。
そんな経験をした人達の声を聞くのは、辛く、重苦しい雰囲気だった。

パネルで順番にジェノサイドまでの流れを写真と文章で見ていく。
政治部分は理解するのが難しかった。

やはり衝撃を受けるのは、虐殺の様子を示した写真だ。
鮮明なカラー写真で、人々の死体や、ミイラ化した子供の様子があった。

新しい世代を絶やそうと、子どもや女性が殺された。

なんで?なんで?

なんで殺されたんだ?

単純にそう思った。

亡くなった方の頭蓋骨が並べられた部屋があった。
入るのは怖かったけど、
黒柳徹子さんが、ユニセフ親善大使の活動で、
カンボジアでたくさんの遺骨に向き合った際、
怖いとは思わない、ただ亡くなってしまった方たちのことを思った
とおっしゃっていたことを思い出した。

だから祈った。どうか安らかにと。

外に出たら、清々しい風が吹いていて、いい天気だった。
ジェノサイドなんてなかったみたいにルワンダは発展している。

けれど、虐殺という地獄は人々の心に残り続けていて、終わってはいないということも、学ぶことができた。

紛争は虐殺は関係のないことではない。
これから食糧が減っていくだろう。
日本では、働く世代が少なくなっていく。

憎しみが生まれないために、身近な人を大切にしたいし、
もっと学ぼうと思えた。


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