ドタキャンで失うモノ

ひさしぶりにひどいドタキャンをされて、ナチュラルに傷付いたことに驚いている。

そもそも私は沸点が低い人間だから、ドタキャンされた当初は怒り、怒り、怒り…と😡の感情が次から次へと爆誕していった。あまりにも怒りベイビー👶が誕生するから、もうさすがにイヤだなと思い、ナゼ私はこんなにも怒り狂っているのかと考えようと思った。そして、辿り着く。

あゝ、私は傷付いているのだと。
“一方的に傷付けられたこと”が、許せないのだと。

ドタキャン自体は、まあイイ。私も今後もう会えなくなってもイイかなと思う相手や大人数の集まり、コロナ等の致し方ない理由等で、何度かしてしまったことがあるゆえ、断罪できる立場ではないからだ。

ただ、今回の場合、私が許せないポイントが3つある。

まず一つ目は、2人で約束していたこと。ゆえに、私はその相手のためだけにこの日のこの時間を空けていた。私の人生の価値を軽く見られたように感じてしまい、腹立たしい。

二つ目は、向こうから日時を指定して誘ってきてくれたこと。私からこの日かこの日遊べないかな?と誘ったなら、まだドタキャンされても仕方ないと思える。だが、向こうから指定してきてこちらがその予定に合わせたのに…ナゼ、提案してきた!?とどうしても思ってしまう。

そして最後の三つ目。正直、コレがなかったら別に私はここまで憤っていない。ドタキャンの理由がどうしても許せなかったのだ。夕方くらいから会う約束をしていた当日正午に急に向こうから「職場の忘年会に誘われたから、そっち行っていい?」と言われて、理解できなさすぎて一瞬頭が真っ白になった。

そんな最低なことを平然と言ってのける人間が、まだ私の身の回りに生息していたのか…と私は絶望した。なぜなら、類は友を呼ぶ。という言葉が同時に浮かんだからだ。私、こんな最低なやつの類なのか…と。何よりもそこにショックを受けた。

そして、改めてドタキャンは友を失うだけでなく、相手を傷付けるという当たり前すぎる事実に再度気付かされたし、安易に誰とでも約束をすることをやめようとも思わされた。信頼できる相手or傷付けられてもイイと思える条件等がなければ、会う約束はしない。ゼッタイに!!!!!!

加えて、コレは勝手に私がやったことだから、相手に非はないが、相手の誕生日が近かったため、私は誕生日プレゼントをささやかながら用意していた。ソレがより虚しさを助長させる。私だけ楽しみにしていてバカみたいじゃないか…。あまりにも私が可哀想すぎる。

私の今後の人生で、この人に会うことも連絡を取ることももう二度とないだろう。私を平気で傷付けることができる相手を切れたことは喜ばしいことだし、掃除したからこそそこに新しい出会いが舞い込んでくると信じたい。というか、そうじゃないとこの怒りは収まらん😡😡😡

2023年この1年間はほとんどカナダで生活していて、めちゃくちゃ出会いに恵まれた人間関係サイコウの年だったからこそ…より衝撃だった。ひさしぶりのヤバいヤツ…。

でも、そのおかげでカナダで出会った人をはじめ、私がダイスキな人たちは、私を大切にしてくれて、私も大切にしたいと思える人たちだなと改めて感謝できたので、そういう意味では幸にも気付けてヨカッタ◎

わけわからん自分勝手な理由で平気でドタキャンできるやつは、そもそも想像力が欠如しているから、人として頭があまりよくないのではないかと思ってしまう。

相手の時間と自由を奪っていてさらに傷付けることも考えられないなんて、そんな優しさも知性もない人間に私はなりたくない。ドタキャンできるくらいなら約束はするな。まして自分からは誘うな(過去の自分にもキツく言いたい…恥ずかしい…大大大反省)。

さらにドタキャンを平気でするということは、たぶんドタキャン慣れをしてしまうため、多くの友や信頼を失っていくだろう。残った人間たちも結局類友だから絶望である。

自分勝手な理由でドタキャンするたびに、相手が誰であろうと、人として大切なモノは必ず失っていく。ということを私は今後の人生で忘れずに胸にしまっておきたい。いや、おきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?