CryptoArtの論点
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CryptoArtの論点

永松歩

NFTによってデジタル・アートの取引が活発化してきている。老舗オークションハウスでBeepleのNFTが約75億円で落札された。ブロックチェーン技術にまつわる期待が資本を大きく後押しし、NFTプラットフォーム自体がさながらゴールドラッシュの活況であり、NFTに作品価値を帰属させるCryptoArtの流通・取引プラットフォームも単調に増えている。

こうしたプラットフォームに参加するアーティストも増えてきているし、そのチャレンジは素晴らしいことに思う。しかし、一方でその仕組の特殊性から、アーティストも自身の立場に自己言及する必要もあるように思う。アーティストに言及して欲しい点をこの記事にしたためた。

1. 自身を銘柄化する舵取り
2. サステナビリティーへの態度
3. 複製芸術の先の考察

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1. 自身を銘柄化する舵取り

デジタル媒体で創作活動をしている者にとっては、既存の流通プラットフォームよりも、取引や所有の一意性を担保できるという点でメリットがある。不正利用やコピーを摘発する理由づけもできる。

それにもまして、BeepleやJack DorseyNyanCat等に関する取引が明らかにした重要な点は、信用を担保とした二次販売が容易になったということだ。それが意味するのは、株や外貨のように、時事に応じたアービトラージ取引が活発化し、ときに異常なボラティリティをつけるということだ。これまでは、唯一性や真贋を保証するモノの数量自体と、オークションハウスのような価値の認証機関によって、取引量は二重に制限されていた。しかし、エディション制限の無いデジタル・アートが、非集権的な価値認証の仕組みで取引されるようになれば、取引量は増えるだろう。NFTの場合、転売された際にも原作者への収益を配分できうるので、そういったメリットは従来には無い大きすぎる恩恵だろう。

作家とその作品はこれまでよりも簡単に銘柄のように値付けされ、取引されると予想できる。芸術性よりも、話題性やトレンドが重要になってくるとも予想できる。作家主体で(エージェントなしで)、このようなマーケットに飛ぶこむことはエキサイティングかもしれないが、相応の心理的負担はかかると思われる。

Casey Reasの企画によるオンラインエキシビションのFeral Fileは、Generative Artの作家をキュレーションしたオンライン展示であると同時に、BitmarkのNFTを媒介にして所有権の取引ができる。コードベースの作品のように唯一性やモノに依拠しない媒体が、NFTによって広く取引ができるようになったマイルストン的な企画と言える。

さらに画期的なのは、その場で所有権の購入ができると同時に、売りにも出せることだ。当然の帰結として、そこには高値で二次販売に出す者があらわれた。$75で売り出されたRaven Kwok作品のNFTはまたたく間に買われ、1日立たず$3,999の値で二次販売に出された。はたして、二次販売した人物は、真に作家の芸術性を認め、応援していたと言えるだろうか?(当然彼の目的は明白で弁護するのもナンセンスだ。)これを目にしたオリジナルの出品者がどう感じたのかは気になるところだ。

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Beepleほどになると達観するのであろうか。

彼は法外な値付けは「100% CryptoArt バブル」の結果だとコメントしておりやはりセンスが光る。 Beeple Generatorなる挑発的なサイトが登場しても本人はキャッキャッしているあたりもさすが。

2. サステナビリティーへの態度

Ethereumによって鋳造される仮想通貨およびNFTは非常にエネルギーコストが高く、それに依存するCryptoArtプラットフォームについては、Memo Aktenをはじめとしたアーティストらが警鐘を鳴らしている。作品を提供する立場のアーティスト自身が主張しているという事実はとても重要だ。

Ethereumは、もともとNFT含む分散管理のスマートコントラクト等を成立させるプラットフォーム自体を指し、その上で成り立つ仮想通貨がETH(イーサ)であるから、Ethereumは仮想通貨でなく仕組みの名前を指す。

Ethereum上で発行される通貨が圧倒的にエネルギー効率が悪いことが上述のMemo AktenのThe Unreasonable Ecological Cost of #CryptoArt で説明・告発されている。また、ETHは採掘すると電気代のコストでかなり負ける(!)ということから、Ethereumが提供するNFT鋳造も同様に燃費が悪いことは想像に難くない。実際にコストがかかるのは、トランザクションの検証と新たなブロックを作成する Proof of Work(PoW)のアルゴリズムだ。

Memo AktenらによってまとめられたA guide to ecofriendly CryptoArt (NFTs)によると、一回のNFTの発行で、飛行機を1回飛ばすのと同等の二酸化炭素100kgが排出される。同様に1つの作品に100程度エディションを発行すれば10トンを排出し、これはEU圏に住む1人の年間の二酸化炭素消費(生活を支える産業・貿易等を含む)に等しい。逆にEthereum以外を採用した場合、総じてエネルギーコストは改善されるとされる。

Ethereumが奇しくも断罪されるような立場になってしまったものの、打開策としてエナジーフレンドリーなアルゴリズムである Proof of Stake(PoS) にマイグレーションする計画があるので、遅かれ早かれ改善されると期待できる。

Ethereumは、国内でも広く啓蒙が進み、多くのNFTマーケットに採用されている。少し調べただけでもStartbahnnanakusaもEthereumを使用しているとわかる。しかしながら、今時点のアルゴリズムの上で作品を流通させるのにかかる環境コストについて自覚的になっているかといえば、多くの出品者・アーティストは無邪気であると思われる。この点に自覚的かはアーティストにとって重要なポイントとなるだろう。

ステートメントなどで環境に対するスタンスを明示し、実際にマーケットの選定を能動的にしているようなアーティストはそれだけで評価を得られるとおもわれるが、もはやマスク着用のようなある種のお作法としてのサステナビリティー言及にすでになっているのかもしれない。 #cleanNFTというハッシュタグもある。

3. 「複製芸術」の先の考察

ベンヤミンが「複製技術時代の芸術」の中で、唯一のモノを媒介とする=アウラに依拠する形式を凋落させる意味で、複製芸術の可能性を見出した。当時は写真や映像技術が議論の対象であったが、現在は、そういった複製芸術は(モノの)芸術よりも世の中に敷衍した。また、複製芸術を前提としたメディアやメディア装置・仕組み・社会制度に着目したメディア・アートという分野も生んだ。コンピュータ・プログラムを書くメディア・アーティストたちは、
・芸術を自律生成するプログラム
・既存の(芸術)システムに介入・ハックするプログラム
・メディアを読み替えるプログラム
等を書き、議論を高次に豊かにしていった。

一方でCryptoArtの世界に目をやると、そこでの価値およびエディション発行管理は、非常に古い価値感覚が厳格な形で実現されているだけのように見える。モノでない芸術作品の売り買いを賢く、ただしエネルギー効率は最悪の形で実現したにすぎないのではないだろうか。複製芸術を、唯一の暗号に帰属させることは、唯一性やアウラに芸術の依代を戻すということであり、それはもはやベンヤミン以前の議論に戻っているとすら思う。

また、所有や換金の仕組みは提示されたが、鑑賞や享受の仕方の提案はなく、この点もまた退化していると考えられる。鑑賞や所有できるのは、Jpegやmp4などの電子媒体と数バイトの暗号だ。果たして、NFTの所有者いったいどのように作品を鑑賞するのだろうか。ディスプレイ越しだろうか?この点では劇的に鑑賞体験の解像度があがるといったことはなく、大きな刷新はないのではないか。

また、どういった需要層が今後増えていくだろうか。真に芸術家を応援し作品を楽しむものよりも投機に向くNFTコレクターが(人ならまだいいが、おそらく大量のサイトを効率よく巡回するようなBotが特に)増えると考えられそうだ。

こうしたネガティブな意見に対して、どのような可能性を語るか、未来を提示するかの論が個人的に期待するところだ。私自身は、様々なCryptoArtに対する反論を目にするにつけ、新しいものに反論が起こるのは常だとポジティブに考える派だ。アーティストは、短期的な投機マネーからくる収入を期待するということが本音だとしても、その点を批判されることに対する論理武装や自己言及、哲学をしてみると楽しいしそれが創作のモチベーションにつながるかもしれない。

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永松歩
フリーランスのCG系プログラマ