選挙ムズイ

選挙って行くのが当然という感覚が「行った側」にはあると思うが、実際に選挙にいって名前を書いて箱にいれるまでかなりのハードル(主に心理的な)が存在すると思う(実際に数字でも2人に1人が投票しなかった)ので、今回の自分の投票を振り返るという意味でもnoteにしたためておく。

1. 選挙に行く意義を見出す難しさ
2. 自分の政治観を語る難しさ
3. 賛同できる候補者・政党を選ぶ難しさ

1. 選挙に行く意義を見出す難しさ

「投票に行くべきだ」とひとはいう。自分も大学生ぐらいのころは正直、政治に対して参与できるという希望も知識も持っていなかったし、指定の日時に投票しにいく(もしくは期日前投票に行く)ということすらめんどうくさく感じてバイトとかしていた気がする。今思うと、無自覚に幸せに生きていけてたからかもしれない。

今でこそ、政治に対して思うところはある(納税や年金を支払っている自治体や国家に対してその用途や還付についてまだ動かせる余地がある、とか多様性に関する制度上の問題を整理するチャンスがあるなど)が、こうした意識は自分で金を稼いだり溶かしたり、税金を自分が払うのに謎のペーパーワークをしたり、国や自治体に対して素朴に不信感を持ったりすることが無いとなかなか変わらないと思う。適度な不幸せを自覚してはじめて参政することの意義を考えられる。

一方で万事幸せに働けていたり、税制や暮らしぶりにある程度の納得感があれば、国政にもの申す権利の意味にピンとこない。そういう心情も正直共感ができうる。僅かな一票では変わらないという諦観や、物理的に行けないみたいなことは、どんな行動に対しても持ちうる動機・感情であるから、選挙だからという理由で辞めることを辞めさせるのは難しい。とはいえ、「権利を廃棄する」ことが世代間で行われたら、物言わぬ世代以上に、思慮思考の無い世代と政治的に断定されてしまいかねない、という状況に対して良し悪しを議論している人は若者でも多いし、この点は繰り返さない。自分にとっては、少なくとも人生イージーモードではけしてないのだから、使える権利は行使したほうが良かろうと思う。

選挙に行く意義を見出す次のステップとして、さらなるハードルであるのは候補者を考えるプロセスの面倒臭さだ。

2. 自分の政治観を語る難しさ

政治は、一般に広く語られてしかるべきなのに(でないと投票の動機も醸成されない)、それが一見するとタブー視されている。

著名人がTwitterなどで選挙に行くことを呼びかけているが、それよりもどういうプロセスで候補者を選ぶか、政治信条を醸成するかのプロセスのほうが難しいしハードルだ。「単に選挙に行こう」から進んで、「候補者を選ぶ考え持とう」という論に行っている人は稀であったように思う。日常でも選挙に行ったあとビールのむぜみたいな話はあっても、誰々に投票したけど当選しなかった、とか断固○○党は支持しないみたいな話を気軽にできない。

なんとなく日常で「政治と宗教、性の話はタブー」となってしまうのも、「みんな立場は同じ」とか「必ず共感しあえる」みたいな希望的観測にたった願望の裏返しとして、「浮いたらハブられる」とか「意見を違えたくない・喧嘩したくない」、というような、よく言うと「和を重んじる」、悪くいうと盲目的忖度主義という文化的コードがやんわり形成されているからだと思う。自分の場合、不勉強や無知を悟られたくないというのもあるかもしれない。秘密にしたいという純粋な感情もあるだろう。

しかし政治家でもアーティストでもなんでも支持される理由は政治や宗教、性、そのほか様々な制度に対して発見や問題提起をするからだ。政治・宗教信条に関する「勧誘や強要」は拒否されるべきであろうが、この点を守りさえすれば気軽に浅薄であっても議論されて良いと思う。異なる思想を持つ他者が「身近に」存在していると意識できる。さもなくば、誰も政治感情を持たない、良くても煽られポピュリズム投票をみんなでしにいくだけになる。

改憲など、政治信条の根本となる争点で、理解し合えない場合、友情を違えるほどの差に思えるかもしれないが、実際は、関係の中の一つの接点での差異にすぎない。今を生きるうえで人種や宗教、または政治信条が違うというだけで会話をやめる、というのはおかしい。

リベラル風な教育機関でも、自衛隊の活動内容に関する改憲に賛成の立場をとる教員もいた。そのとき、「ここは全員左だろう」みたいなよろしくない先入観と偏見を持っていたことを認識できた。あと家族でも普通に政治信条がまるで違うということも起こる。選挙に行ったり議論を促すような場に行く場合、こうした事実を当然ととらえられるかは前提として重要だと思う。

政治的な発言をしたからCMにつかわない、とか、政治的な発言をするとフォロワーが減るからしない、といった考えはこうした前提が欠如していると同時に、忖度主義の害悪などが幾重にも重なって悪い方向で定着してしまったように思う。トランプ的な分断を煽る世界観で、盲目的に設定した仮想敵に対してただただ敵意を燃やし合うような世界になってしまうのもどうかと思うが、他者の中に自分とは明らかに異質な考えが可視化される、というのはある種、自分にとってはおもしろいこと・価値のあることのように思える。

3. 賛同できる候補者・政党を選ぶ難しさ

政治信条と持つということと「候補者と支持政党を記入する」ことが完全に調和することは稀だ。おそらく、自分の理想に対して、100%信頼できる公約・政党・政治家は存在しない。仮に一人の候補者の演説に心打たれてもその党首の態度が嫌いであったり党の基本姿勢が嫌いということはおそらくよくあるだろう。

とはいえ、投票においてとりあえず答えを出す前に情報を集め、モチベーションを高める、ということは案外簡単にできる。まず選管公式のPDF広告を見るだけで(「選挙 候補者」ぐぐると一番上にでてきた)、なんとなく論点について理解できる。 少なくとも、ああ、この中から議員名と政党書くんやな、ということが実感としてわかる。明らかにこいつはアカン、みたいなのも見えてきて、たぶん4~5人くらいで悩んでくる。意外と、Webを2~3ページ読んだり少しの労力をかけたら、途中から押しを選ぶみたいな感覚になっておもしろいと思いはじめる。

自分が投票用紙にどのように考えを反映し意思表明するかの難しさについてだが、ここからは、自分がどう意思決定したか(どこに入れたか、またそうした基準をふくむ)というところで、政治的意見入るし面白くないしで、ゾーニング必要そうだから有料にした。(買ってもいいことまったくないことは予め書いておく)

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