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NFTアートの学習と制作のことはじめ

NFT作品を出したりしていく上で、様々な環境と照らし合わせて考えたことをつらつらと書いていく。そこそこ散漫なので注意。

焼き畑に加担しない

NFTについて、バズや投機的な現象に飛びつくことは、悪くすると、ありえた文化の可能性を焼き尽くすことにもなりかねない。それ以外にも投機リスクをマイナスを被ったり、法制度と折り合わず裁かれたり、と様々なことが言えそうだ。投機への最適化を促すような言説や、技術自体を積極的にブラックボックス化する言説は、非対称性をつくる点で誠実なものではない。個人の対抗措置としては、

1) ブラックボックス化するのではなく、事象を掘り下げて捉える
2) より長い視点での投資・表現活動を行う

ということだろうか。これはただ、投機的で短期的な焼き畑的行為の逆を言っているに過ぎない。これを個人単位から広げて考えるなら、

1') 技術的側面から理解する・エンジニアリングに関わる
2') 倫理的な制度設計に貢献する、集合知の形成に貢献する

などのことも言えるかもしれない。

ブラックボックス化しない努力

以下の記事は非常に良かった。

「ブロックチェーン」における「スマートコントラクト」が、オブジェクト指向のクラス(状態と手続きのセット)として表現でき、それによって自前の暗号通貨や、NFT(非代替性トークン)の安全なブロックチェーン実装を、比較的簡単に行えることを端的に説明している。一般的に安全性や堅牢性などを高度に求められそうな、貨幣発行システム、ユーザーの資金管理や取引管理のための処理をシンプルに表現できうることに驚いた。開発をするために、新しい概念をいくつか覚える必要はあるものの既存のソフトウェア開発以上のリテラシーは求められていない。アルゴリズムは部分的にでも理解できうることが多い。アルゴリズムや処理は、言葉として説明されてもなかなか実感しづらいが、たしかにコードや実装を提示されると、理解の解像度はグッと高まる。

スマートコントラクトを実装できるSolidityという言語に関しても学習リソースは多い。CryptoZombies.io は、一見したところ教材としてのクオリティが高い。

また、ブロックチェーン(とその上で稼働する暗号資産やNFT)で実現きることに、強い優位性があるわけではないことも指摘していることは、同時に重要に思える。NFTのチェーンの中に格納されるのは、原作者のアカウントや、持ち主のアカウント情報と作品への参照などを示すメタデータなど、素朴なkey-valueの構造体だ。

NFTでは、チェーン上に作品を置けないので、外部のストレージを参照する必要がある。参照先が改ざんされない前提の仕組み(NFTとは別だが発想は似ている技術、IPFSなど)に依存していたりすることもわかってくる。

「アート・ワールド」とNFT

上記の記事でも指摘されているが、ブロックチェーンに先立って、「サイファーパンク」文化という暗号技術を駆使することで中央集権的な監視と統制に対抗する政治運動が大きく影響している。ブロックチェーン技術のありようが、その活動の骨子を本質的に体現しているように見える。 

一般的な層(サイファーパンク文化を気にしない・プログラマー的でない人々)が無視できなくなったのは、投機的側面であろう。過度な期待が後押し、大きな富を得られる鉱脈になりうるということを様々なニュースになったことで、初めて人を惹きつけるに至った。

NFTは「アート・ワールド」にも大きく響いた。ギャラリーやオークションハウス、アーティストもよく注視しているし、老舗オークションハウスのクリスティーズはBeepleをして、NFTを「アート・ワールド」にセンセーショナルに喧伝した。作品販売に関わる事業者が期待するのは投機マネーの換金性能や権威的価値評価の相対化でありそうだ。サイファーパンク運動に起因するような脱集権化などに対する興味関心は低そうだし、ブロックチェーンを神秘化・魔術化するように動いていると感じられる側面もある。一方で、ブロックチェーンで実現することは、既存の手続きの改善でしかない。これまでも、物理・デジタルデータ問わず、唯一性の保証や真贋の判定、来歴の管理などは歴史的におこなってきたはずである。

こうした非対称性からアーティストのNFTへの問題提起は日々強火になってきていると感じる。2021年では、ダミアン・ハーストの『The Currency』、日本では藤幡正樹の『Brave New Commons』などが思い出される。鋭い作品設計に驚かされる一方、NFTをモチーフにしているようでいて、実は貨幣経済での評価や作品生存のシステムに対するカウンターのようなもののように聞こえたりもする。以前から抱える貨幣評価に対する成熟した議論を、NFTを挟むことで実際の貨幣でやるよりも法規制的にもラディカルに表現できる、という発想のように見える。これは一つのモチーフを使う発明でもある。

周縁の「アーティスト」

「アート・ワールド」の中心よりも周縁に立つ「メディア・アーティスト」たちは、より直接的にNFTを運用して経済活動を大きく回すプロジェクトもあれば、上で書いたようなブラックボックス化をしない努力や、長い視点での表現・投資行為を行おうとする努力も見られる。

ライトなクリエイター層でも「Crypto」を接頭語においたり、採掘・チェーン認証の計算によるエネルギーコストを問題視して、PoS由来のサービスを使い「CleanNFT」を謳ったりしている人たちもいる。何より、NFTのエコシステムに、早くも環境として順応し、その制度を利活用したり、制度自体のあり方を問うていくようなスタンスが見受けられる。

NFTマーケットは、どちらかというと、こうした周縁の「アーティスト」たちが積極的に関わることで、自浄的に改善していっているように考えられる。NFTマーケットでは、「投機を狙った剽窃」という最悪な行為を頻繁に見つけることができるたが、今でこそ、侵害の通報やCode Of Conductの整備をして倫理的なガイドを設けることが増えてきている。しかしながら、いまだ制度の悪用も多く見られている現状といえそうだ。

「ジェネレーティブ・アート」

「ジェネレーティブ・アート」もバズワードになりそうな気配がある。なぜなら、「ジェネレーティブ・アート」は、NFTの投機的な側面で成功したからだ。ビジネス書や雑誌でその単語を目にするようになった。CryptoPunksGenerativemaskのような経済的に目覚ましい成果を出したプロジェクトはジェネレーティブ・アートによるものであった。「ジェネレーティブ・アート」は、パラメータを変えればバリエーションが多く出せるという本質的な特性によって、恣意的にバリエーションを偏らせたりすることができるようになった。つまり、多数のエディションを発行し、その中で意図的な希少性を設計することができてしまう。これはトレーディングカードのMagic The GatheringでBlack Lotusという非常に希少なカードが高値で取引されるという現象を、デザインし再現できるということだ。

これが事後的にでもCryptoPunksに火がついた要因でもある。CryptoPunksの個々のPunk(=個々のエディション)は、帽子をかぶっていたり、パイプをくわえているなどの特性があり、これの組み合わせをデザインすることで、非常に珍しい組み合わせがでてくる、という寸法だ。プログラムで記述する出目の確率分布はコントロールできる。

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fxhash

自分も、初めてNFTをmintしたときは、fxhashを選んだ。fxhashは、ジェネレーティブ・アートのプラットフォームであることを推し進め、「希少性のデザイン」ができる。加えて、ソースコードはほぼ破壊されない状態でネットワークに存在し、いつでも図像を生成できる。これは、単に成果の画像をホストするよりも1つメタレイヤーに行っている。ユーザーとの一意の「所有」関係を持てるのは、プログラムが生成したひとつのエディションに限られるというところもおもしろい。プログラム自体のNFT的な所有はスコープにはなさそうだ。

使用するランダム関数に制限をもたせることで、事後的にパラメータの分布を出すことができるのは面白い。パラメータの分布はプログラマーがデザインできるため、CryptoPunkの手法がそのまま転用できる。とはいえ、このタイプのアイディアは既にクリシエと化しているし、露悪的・作為的な手法を持って、よほどの条件が揃わない限り今では投機的な結果は見込めないだろう。

投機的な目的にうつるこの機能(featuresの集計機能)は、fxhashの一つの機能にすぎない。多くのクリエーターは、純粋にジェネレーティブ・アートの審美的側面を楽しんでいるし、かつてより著名であったアーティストも、今まで名の知られていなかった気鋭のアーティストも同じように制作をあげている。

創作の一つのアウトプット先としてチェーンに記録することは剽窃からの能動的な自衛にもなる。(分散型ネットワークに1度ホスティングされてしまえば、削除することが実質できないということは、書き捨てるコードを量産しているタイプの人間にはデメリットかもしれないが。)

ホスティングの都合やオンラインでの実行可能性から、javascriptの実行環境に限定される。npm と webpack で「ジェネラティブ・アート」を制作するのはとても楽しいが、個人的に懸念するのは、javascriptでかつ可搬性のあるものが流通可能なものとして限定され、例えばハードウェアを用いた作品などが、奨励されない・むくわれないもののようになってしまわないかだ。もっと話を広げると、NFTのエコシステムが作品の多様性を毀損しないかだ。

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自分はNFTにおいてはまだまだ新参者であるので、冒頭で書いたことを少なからず意識し、先人の努力などを学びながら、少しずつ環境に慣れていきたい。fxhashでのmintもそうした先人の努力の学習の過程にすぎないように思える。fxhashの具体的な制作についての話や得られた収益などは別途またどこかで書きたい。

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