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Twitter開始10周年の日に思う

朝目が覚めて、いつものようにTwitterを開くと通知が1件届いていた。

どうやら今日でTwitterを始めて10年が経つらしい。最初はなんとなく始めたTwitter、登録したのは確かに10年前の今日なのだろうけど、本格的に使い始めたのはそのもう少し後、多分2010年末~2011年初頭くらいだったと思う。その頃Facebookが一大ブームを巻き起こしていて、ビジネスでFBを活用して人のつながりを作ろうというのが流行っていた。その中で自分もFBを始めたわけだけど、合わせてTwitterも使ってみようかと思い本格的に運用を始めた。

Facebookからの流れだったので最初は仕事に関わるアカウントを中心にフォロー。仕事用ともプライベート用とも運用の壁が曖昧なまま始めてしまったので、続いて趣味の音楽関係をガンガンフォローしていった。そして仕事の農業関係と趣味の音楽関係が交雑するカオスなTLができあがった。

ところが、ほどなくしてとてつもない衝撃が現実にもTwitterにも襲いかかる。2011年3月11日、東日本大震災。その時ちょうど事務所でPCに向かっていた自分は、大きな揺れを感じた瞬間PCの画面をEXCELからTwitterに切り替えた。そこに見えたのは恐ろしく異様な光景だった。

一面に並ぶ「揺れた」「地震」というツイート。追っても追ってもその流れが終わらない。自分のフォロワーは全国各地に散らばっているのに、もう範囲を特定するのが難しいくらい広い範囲の人がみんな地震だとツイートしている。そしてその後に続く混乱。最初は東京のどこそこが火事だとか、首都圏の情報が中心だった。TVをつけて見ても、ごく初期は東北より東京の情勢がつかめないことの報道が多かった。少し当時の自分のツイートをサルベージしてみる。

14:55 「宮城地方最大深度7!」
15:11 「TVで見る新橋駅上空からの映像だとみんなまだ立ち止まってる。地震が原因かはわからないけど、都内で火事も発生しているらしい。煙が立ち上がっているのが見える。そして新潟ではまた揺れている。。。」
15:13 「NHK曰く東京中野区の住宅倒壊。東京そんなに揺れたのか?Twitterやってる人達は無事を確認できたけど、みんな大丈夫かな?そして家とはまだ連絡がつかない・・・。」
15:31 「@(XXXXX) 無事だったんですね。よかったです。今さっき東京震度5とか出てたから心配です。でも確かに仰る通りなら住宅倒壊、ってほどでもなさそうですね。中野は古い家も多いからなぁ・・・。」

が、それもほどなく状況が変わる。TVの速報にも、TwitterのTLにも、津波警報とその到達予想が出てきたのだ。8mという想像力の上を行く暴力的な数字。しかもそれが太平洋側を中心にほぼ日本沿岸全部を覆うように警報が出ている。TLに「逃げて!」との悲鳴が飛び交う。

15:31 「@(XXXXX) ご無事で何より。今、NHKでは千葉海岸で津波により船が流されて岸壁にぶつかりました・・・。」
15:34 「RT @(XXXXX): 茨城、千葉、青森も津波が8m以上!めっちゃやばい!まじで逃げて!太平洋側は全国的に波やばいです!」

地震から一時間近く経過してもパニック状態のツイートも多く、同時にデマツイートも多く飛び始める。TLには地震以外の話題は一切ない。実に異様な光景だった。TVの首都圏をヘリから撮った映像では複数の場所から黒煙が上がり、新橋駅前では歩いていた人やビルから避難して出てきた人達が広場で皆立ちつくしている。ネットでは各地の地割れの写真等が出回り始め、とうとう大きな津波が押し寄せる映像が流される。このパニックの中、早くも朝鮮人による略奪が~とか、○○で助けを求める人が~とか、当時の混乱の中では真実ともデマとも確証が取れない、だが今から思うと確実にデマと判断できるツイートが増えてくる。不安の中、それらのデマはリツイートで一気に広まる。この流れはその後の福島第一原発の事故でいよいよ大きく、深刻になる。その後しばらくの期間、Twitterが不安と疑心暗鬼の温床になり、デマや正義中毒、不安、疑心暗鬼の大きな渦がたくさんの人を巻き込んでいった。

何故今この話を書くのか。それは、今のTwitterの、そして世の中のあり方がこの震災直後の頃に似てきたなと感じているからだ。それは新型コロナウィルス COVID-19による脅威が、震災の時のように人々の心に不安とストレスを与えているからだろう。一瞬で世界を変えてしまった地震や津波、原発問題と比べると新型コロナウィルスの脅威は即効性は低いが、代わりに終わりが見えない禍は社会の底に消えない雪のように不安を積もらせていく。その不安を埋めようとするように不正確な情報やデマが飛び交い、それを妄信する人、訂正する人、ネタにする人、嘲笑する人、1つの情報に様々な立場が絡み合い、中には異なる立場に対してかなり攻撃的になることもある。東日本大震災の頃よりはまだ幾分かマシだけれども、時にTLを追うだけで心がすり減っていくようなカオスは完全に同質だ。

東日本大震災の頃は自分もそのカオスの中に入り、自分なりの分析や所感を述べていた。今から思えば合っていたものもあれば見当違いだったものもある。今は情報だけは仕入れるし当然そこから状況分析や裏取り等々はするけれど、それを敢えてTwitterで語ることはしなくなった。それをやっても混乱を収めるどころか、ただカオスの渦の中の一粒になってむしろ混乱の要因を、少なくとも自分のツイートを見てくれているいくらかの人達に対して、増やすだけなのがわかったから。それよりはそのカオスを無視して堂々と違うことを話し、見てくれる人達の視点をカオスの外に一瞬でもずらして息抜きをしてもらった方がいい。

Twitterは情報の坩堝だ。いいものも悪いものも、毒にも薬にもならんものも、いくらでも湧いて出てくる。特に今のコロナ禍の中ではさらにまたそれが玉石混交で不安や疑心暗鬼を煽る。何はともあれ落ち着くこと。こと新型コロナに関して言うなら、目の前の情報を信じなかったからといって10分後に命がなくなるわけじゃない。ちゃんと調べて考える時間はある。不安に対して根拠のないおまじないだけでは、いつか不安が現実的な不幸になる。だから不安に対しては現実的に有効な対策をしないといけない。ちゃんと落ち着いて調べて考えて。そして相手はまだ分析が進んでいない未知のウィルス。100%の正解はないということもちゃんと考慮に入れて、間違いも受け入れつつやっていくしかない。最近のTwitterを見ていて、改めてそう思うのです。

早くTwitterが落ち着いて楽しめる場所に戻るといいなと思いつつ、10年目のこの日を締めさせていただきたいと思います。フォローしてくださるみなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


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