あゆみ

都内で保育士をしています。 保育の事、教育の事、人間の事、日々勉強中。 趣味は、哲学対…

あゆみ

都内で保育士をしています。 保育の事、教育の事、人間の事、日々勉強中。 趣味は、哲学対話、子ども哲学、スキンダイビング、散歩、海、農業体験などなど (エピソードの名前はすべて仮名です。)

最近の記事

わかると、わからない、の事。

昨日の上町の勉強会で わかるの話をして (子どものことがわかるということ~「わかる」と「わからない」の境界と保育者の自覚性~) 保育は、やっぱり、人としての営みであるから面白いし深みがあるなぁと実感する翌日。 子どもの事をわかりたい、わからない どちらも必要と思うと同時に、 大人同士だってわかった気である事を認識していないと怖いなと振り返る。 子どもの頃の国語の問題で、筆者の思いはなんですか?という問いが、大っ嫌いで それは本人しかわからないでしょ、とずーっと思いながら

    • 半身で関わるとは何か

      仕事に対して女性は子育て、介護の中で半身で関わるとの話をずーっと考えている。 そしたら子どもがいない人は半身にはならないんだろうか? そもそも仕事との付き合い方が半身であるべきに時代は変わってきているのではないか? 子育てや介護があるから半身になれるのではなくて 仕事とそれ以外の両立、そのくらいの関わり方が必要なのではないか? 仕事にどっぷり浸かって、24時間働けますか? の時代は終わったのではないだろうか? 職場でも子育てのための休みは優遇される。 入学式卒園式は

      • 信念とは

        信念とは何か? 戦うものなのか、 守るものなのか 貫くものなのか 常に戦っている気がする すると周りは敵になる もっとしなやかに出来ないものか? 自分の経験から生まれたよきを 求め続ける事はなかなか壁も多く それでも大切にしたい事があるんだよ もっと子どもを見たい 子どもの遊びにのめり込める大人になりたい 隅々まで見える人になりたい 誰もが苦しまない世界にしたい 誰かに求めてばかりだったので まず自分の軸に戻す事 私ができる事をする事 最後まで諦めない。

        • 生きること

          私の中に私がなくて 私は、私の好きな人ならやりたい事を 感じ取って 望んでいると思うことを全力で全うしようとする。 すればするほど、私が見えなくなってしまう。 私は好きな気持ちを伝えたいんだけど、 相手にとっては自分の様な夢を叶えたい仲間だと思うから すれ違ってしまうのかもしれない。 私の中に私がない事に気がついてしまうのかもしれない。 私が私のやりたい事を見つけられない事が、 いつも私の壁になっている。 やりたい事がないから 中途半端で立ち止まってしまう。 私、

        わかると、わからない、の事。

          とりあいっこ

          1歳児 二人の女の子が絵本をとりあって思い切り引っ張り合いをしている。 その横で、そっと見守る。 んー んー- お互いに手を放さず、みーちゃんは全身の体重をかけて本を引っ張る。 破けそうなくらい… しばらく均衡状態が続いた。 しかし、るーちゃんの勝利。 しっかりと絵本を抱きしめて話さない。 とられてしまったみーちゃんは、ふっと立ち上がって別の方向に歩いていく、少し視線を動かして、積み木を見つけてすとん、と座る。 みーちゃんが積み木をやり始めた姿をみると、 絵本を手に持

          とりあいっこ

          笑ったら嬉しい

          色々な表情が出てきた0歳クラスのみーちゃん。 たまたま目が合うと いつものにっこりとは違う不思議な笑顔の表情を作って見せる。 保育士が笑って「みーちゃんそれ面白いお顔ー」 というと、 ふふっ と笑って また、面白い顔。 誰かが笑ってくれたら嬉しい そんな気持ちが芽生えている。 自分が笑わせたやったぞ感 それは、相手を幸福にした嬉しさ なんじゃないかなー 何度も笑わされて涙出てきた。

          笑ったら嬉しい

          おいでおいで

          最近、子どもたちの中に入る時に できる限り体をかがめて0歳の子と同じ目線でものを見るようにしてみた。 今日は、くーちゃんと同じ目線。 ぽっとんぽっとん、プレートを落とす。 ふと振り返って、少し上を見上げてから 私の目線の高さに目をやって微笑む。 またぽっとんぽっとん、、 にこ、 ふと、窓辺のキラキラする光に気がついたのか くーちゃんは、プレートのタッパーを持って 窓のそばの光の中に歩いていく。 私は、その姿を見送る。 あったかそうだなー 光の中でまたぽっとん、、

          おいでおいで

          子どもを見る感度

          子どもと同じ視線から世界を見る 大人はもう戻れない世界を見ようとする 子どもと生活を共にする中で見えてくる景色がある 見えなくて、でも見ようとする世界がある 不思議で、キラキラしていたり 怖くて、誰かを求めたり ぐっと踏ん張ったり 思い切り笑ったり それを少し覗ける事は幸せな感覚 それを見るには何をしたらいいの? 一度見たら、逆にもう帰れないのかもしれない。 もっと沢山の人にその世界のステキさを伝えたい そしたらもっと幸せな子どもが増える 幸せな保育士が増える 世界は

          子どもを見る感度

          変わる良さと変わらない良さ

          自分の思考はあくまで自分のものである。 哲学対話をして変わる良さ、刺激し合える楽しさ、嬉しさも経験したけれど、 変わらないものもあっていいと思う。 それでも社会は、それを変えよ!と刺激する。 そこに振り回させるとつらくなる、 したくない事はしなくていいし、自分がやりたい事を選んでいい。 それが当たり前に認められる事が育つように 考えていきたいと思う。 そして、相手にもそのよさを認められる お互いがお互いの考えを認め合って 納得して刺激を受けたりあって そこに平等性があっ

          変わる良さと変わらない良さ

          もんもんと、

          子どもたちが、大人の勝手に振り回されるのが嫌で いろいろともんもんと考える。 でも結局、振り回されるのが嫌が、 目的だと答えが出なくって、 だからなんで嫌なんだっけ?って戻ったり、 子どもにとってどういう状況がいいのさ、 って戻って戻って考える。 子どもが安心して生活出来る事、 子どもが楽しいと感じている事 これが必要だったよ。 安心って大丈夫なんだよね。 安心して、楽しく過ごせている事があれば どっちをとってもいい事がわかった。 自己内対話

          もんもんと、

          子育てしてない保育士

          さっき、子育て経験のない保育士の強みを発見しました! 子育てはそれぞれの大変さがあるなかで、 子育てしてきて先輩の中には、 そのくらいやってきたからさ、 やって当たり前でしょ それは親のわがままだよ という意見を持つ方も時にはいる。 (みんなそう、とは思ってないよー、そういう考えになってしまうこともあるのかなーっという事です。) 専門職として、押し付けはどうかと思う問題は置いといて 私はまだ子育てしてないからさ、 保育の専門としての私の意見はこうだよ お母さんとしては、

          子育てしてない保育士

          夕焼けとか、、、

          雇われてる中で 雇われてる範囲のことをする。 雇われてる中で 自分がやりたくて楽しいことを見つけて モチベーションかけてやり遂げる、 自分のために仕事してる。 雇われてる中で 最低限のことをやってさっさと帰る、 自分のために時間を使う。 それもよし、 何が正しいかじゃなくて何をしたいかでいいかな。 自分で選んで自分で決めて生きてるからいいのかな? 何かに認めてもらいたいとか、褒めて欲しいとか 見返りを求めても、埋まらないのに 埋めたくなってしまう事がある。 この気

          夕焼けとか、、、

          金沢の旅

          金沢、魚貝が美味しかった。 お刺身が甘くて新鮮、毎日刺身食べてた(笑) のんびりひとり旅なので、 じっくりゆっくり考えられてよかったなー 好きなところに行けるのがよい。 自分の海鮮好きを認識して、 海鮮って父の愛なんだよなーって思う。 父は板前さんで、今も自分のお店で頑張ってる。 まー頑固親父だし、 子育て中の母は毎日、父は子育てしない、父は子どもが嫌い、とぼやいていた。 父のお刺身はめっちゃ美味しい。 今も時々お刺身を食べに実家に帰る。 すると嬉しそうにご飯出してく

          金沢の旅

          ぼーっとタイム⏳

          人と違う人でありたいという邪念 優れていたい特別でありたいという欲求がある。 しかしそれは、私にとっては邪念であり、醜いものと感じる。 しかし、それは消える事はなくて、 人と比べる故に自分をダメだと思い苦しめる要因であり、 それがモチベーションであり、何か物事をやろうとする動機である事もある。 無くなったら、自分ではなくなるのかな? それがない人が特別である様に見える。 そうなりたい、そのくらい飛び抜けていたいという気持ちがあるから私はそこにはいけない。 普通でいいよ、

          ぼーっとタイム⏳

          主体的対話的な深い学び

          今日は、職場でのzoom研修、、、 2時間、聞くだけの研修、、、 しんどい(笑) テーマは主体性ですが、 やっぱり主体的対話的で深い学びは、 大人にとっても必要だなぁと実感しました。 去年からzoomが主流になり、zoom対話も楽しくやらせてもらっていますが、 聞くだけのzoomでなく、 反応ありのもの、ブレイクアウトルームで話し合うもの 自分の体験からの振り返りや対話が、 それがどれだけ自分の記憶に残るものかを感じました。 もちろん聞くだけの学びがないわけではない

          主体的対話的な深い学び

          あけました、令和5年スタートです。

          新年早々に研修に来てます。 グループ活動は積極的で楽しいけど、お昼ご飯とかはみんなバラバラで、 一緒に出るけど、じゃ、、、 みたいなのは、時代なのかねー ちょっと違和感を感じるのは、昔と比べてるからなのかな? 今は、黙食、一人でスマホを見ながら食べるご飯も当たり前なので、 むしろそれがよい、世代に突入しているように感じる。 私も一人が楽だなーと思うし、食事まで一緒、ほっとできなーいという気持ちもあるので どっちがいいか悪いかではないんです。 ちょっと時代の流れ?を感じ

          あけました、令和5年スタートです。